霞ヶ関官僚が読む本
現代大衆は諫言する者持たぬ帝王 「民主主義」維持に必読、七平翁の「貞観政要」論
国家公務員給与について勧告を行うことで知られる人事院は、国家公務員の人材開発の仕事もしている。若手職員が行政官としての素養を高める一助として、人事院が付き合いの深い学識経験者や事務次官経験者などに図書の推薦を依頼し、平成23年4月に「若手行政官への推薦図書」というリストを作成して、ホームページ上に公表している。
人事院作成「若手行政官への推薦図書」
帝王学
このリストの中に丸山真男氏がでてこないのは興味深い。しかし、霞ヶ関にも確かにあり嫌われる「法学部系のとりすました感じの権威主義」(仲正昌樹著「≪日本の思想≫講義」 作品社 2012年)は、この日本において、個人として確立した「市民」を期待することと、実は密接な関係があるのではないか。「丸山眞男 人生の対話」(中野雄著 文春新書 2010年)は、その教え子が、「とりすまし」のベールを脱いだ丸山氏の自由闊達な感覚を生き生きと描くが、「霞ヶ関文化」の中にも確実にあるものだ。
一方、リストにある、山本七平氏の「帝王学〔貞観政要〕の読み方」(山本七平著 日経ビジネス人文庫 2001年)も、「民主主義」の維持に必読だ。原田種成博士の「貞観政要」(上・下)(新釈漢文大系 明治書院 1978~79年)を読めればそれが望ましいが、山本氏による本書を読むことも意義がある。「貞観政要」は、中国の唐の君主である太宗とその廷臣の議論を記したものである。「創業(草創)と守成(守文)といずれが難きや」という言葉で有名だが、源頼朝死後の鎌倉幕府の実質的な指導者である北条政子や徳川幕府をひらいた徳川家康が、「陰性」でシンドイ「守成」のための書として愛読したという。
「佞臣」のマスコミはしょせん傍観者
はしがきで、現代で最も大きな権力を握っているのは「大衆」かもしれないとし、責任を負わない「大衆=帝王」となると、人類史上最大の暴君かも知れず、これは現代が抱える最も難しい問題かも知れぬとする。その場合、民衆の権力へのご追従をするものが生じる。「佞臣」といわれるものだ。国民全部が名君になるように直言して諌める者はない。日本国が破産するのではないかと危惧を感じつつも、民衆は、あらゆる要求をして一歩も譲らない。山本氏は、「佞臣」ともいうべきマスコミが民衆にゴマをすると救い難い状態になるといい、「『佞臣』は必ず『断固おやりなさい』とすすめても、諌議大夫(かんぎたいふ)のように、死を賭してもそれを思いとどまらせることはしないからである。」とする。しょせんは傍観者ということなのだろうか。なお、諌議大夫とは、君主が聖人の道をはずれると遠慮なく君主に諫言する専門職のことである。そして、「民主主義の破産は、民の無制限の要求にはじまる」とし、「それを克服する道は、「民主主義とは、民衆の1人1人が君主なのだ」という自覚をもつ以外にない」。民主主義の「守成」とは1人1人に、諫議大夫が必要だが、それが不可能なら、「書物としての諫議大夫」の言葉を読むしかないとし、「貞観政要」はさまざまな示唆をあたえてくれるとするのである。
山本氏は、「兼聴」(情報を吸い上げる)、「十思」「九徳」(身につけるべき心構え)、「上書」(全能感を捨てる)、「六正・六邪」(人材を見わける基本)、「実需」(虚栄心を捨てる)、「義」と「志」(忘れてはならぬ部下の心構え)、「自制」(縁故・情実人事を排する)、「仁孝」(後継者の条件)、「徳行」(指導者(リーダー)に求められるもの)といったところを氏の感想もまじえて紹介している。組織人であるものには一読の価値ありの1冊だ。
経済官庁(課長級)AK