霞ヶ関官僚が読む本
猪瀬前都知事、初期著作でみせた切れ味
「昭和16年夏の敗戦」(猪瀬直樹著、中公文庫)
前都知事である作家猪瀬直樹氏の初期の著作である。
前都知事が退任を余儀なくされる過程で、しばしば、作家時代の問題指摘の鋭さと政治家としての弁明の歯切れの悪さを対比する見解を見かけた。僻目を自認する筆者は、前段部分は、同業者間の仁義みたいなものだろうと受け止めていたのだが、尊敬する某先輩が「猪瀬氏の特に初期の著作は実に鋭いよ。やや酷というか若干無理筋な追及だなと感じるところもあるけれども、それも生硬というぐらいの印象で、傲慢とか狷介という感じではないね」とおっしゃるので、本書一読に及んだ次第である。
机上演習の結論は日米開戦回避すべき
昭和16年夏の敗戦
本書のテーマは、昭和16年(1941年)夏に内閣総力戦研究所で行われた模擬内閣方式の机上演習である。同研究所は、「総力戦に関する基本的研究を行ふと共に…実施の衝に当たるべき官吏その他の者の教育訓練を行ふべき機関」として、同年4月に文官、軍人、民間出身の30代の俊英を研究生として設立された。
その研究と教育訓練の手法が、模擬内閣を設定しての国策遂行と総力戦の机上演習である。7月には、産業組合中金(現在の農林中金)出身の窪田角一36歳を首班とし、各研究生を閣僚、次官などに充てた模擬内閣(「青国政府」)が組織され、英米の石油禁輸などの経済封鎖に対してインドネシアに武力を発動して石油を取りに行くという前提での演習が行われた。インドネシアを占領すれば米国が黙っているはずがないが、米国に勝てる見通しはない。青国政府は、現実の日本政府と同じく対米開戦に逡巡するが、教官側からは開戦を前提に演習を続けるよう指示される。研究生たちが船舶消費量はじめ各種データを分析して到達した結論は、緒戦の勝利は見込まれるが物量において劣勢な日本の勝機はなく、長期戦になり、終局ソ連参戦を迎えて日本は敗れるので、日米開戦は何としても回避すべきというものであった。
昭和16年8月27,28日の2日間、研究所は第3次近衛内閣の閣僚を前に、演習の報告会を実施した。研究生たちはこの発表の場で日本必敗を明示的に述べることはできなかったが、曖昧な表現の中に上記の認識は籠められていた。最も熱心に発表を聴いていた東条陸軍大臣は、「…これはあくまで机上の演習でありまして、…戦というものは、計画通りにはいかない。…(この演習の結果は)意外裡の要素というものを考慮したものではないのであります」と発言し、演習について口外しないよう求めた。
判断にあわせてデータを作る悪弊を指摘
著者は、この演習経緯と合わせて、第3次近衛内閣と東条内閣における開戦決断への経緯をたどることで、当時の日本の意思決定システムは何故必敗の戦争を回避できなかったのかという問題を提起している。そして、国務と統帥の二元制という帝国憲法の一大欠陥に加えて、もう一つ、データに基づいて判断するのではなく判断にあわせてデータを作るという悪弊があったことを指摘する。開戦後の石油の需給見通しは、開戦・避戦をめぐる大本営・政府連絡会議での最大の論点の一つであったが、企画院が示した数字について、「これならなんとか戦争をやれそうだ、ということを皆が納得しあうために数字を並べたようなものだった」という当時の担当者の発言を挙げている。これについて筆者は、さもありなんと思うのだが、一方では、そもそも南方に武力進出しなければ2年で石油の備蓄が枯渇する状況に追い込まれた時点で既に敗戦しているのであって、どんな数字であれ結論に大差なかったのではとも思ってしまう。もっと早い段階で、米国に石油を禁輸された場合の影響の重大性が正確に把握され、それが国務・統帥の首脳に認識されていなければならない。そういう仕組みになっていなかったことがより大きな問題だと思う。
いずれにせよ、冒頭紹介した先輩のおっしゃる通りの本であった。着眼の優れた力作である。ただ、巻末に付されている著者と勝間氏の対談については、江戸前の寿司屋で小肌や煮蛤を食べた後に、コンビニの人気スィーツを出されたような気分になった。やはり筆者が僻目で読んだからであろう。
経済官庁(Ⅰ種職員)山科翠