「発祥の地」から届いた「脱原発論」 前東海村村長が見た原子力をめぐる「真実」
茨城県北部にあり太平洋に面した東海村は、日本で初めて原子力の火がともった場所として知られる。1965年5月に臨界に達したわが国初の商業用原発、東海発電所は1998年3月31日に運転を終了したが、78年11月から第2発電所が使用されている。
本書では、2013年9月まで4期16年間、東海村村長を務めた村上達也氏が、ジャーナリストの神保哲生氏のインタビューに答える形で、「脱原発」論を唱えるにいたった過程や、その真意を述べる。
福島第1原発と「紙一重」 偶然重なり危機回避
東海村・村長「脱原発」論
村上達也、神保哲生著
集英社新書 777円(税込)
村上氏が脱原発の立場をより鮮明にしたのは、11年3月11日の東日本大震災があってからだ。当時は東京電力福島第1原発にばかり目が向けられ注目されなかったが、やはり地震や津波の被害を受けた東海第2発電所も、福島第1原発と「紙一重の状況」で「何重もの偶然に守られたというほかはない」形で救われたという。かろうじて福島第1のような全電源喪失という事態は免れ、なんとか冷温停止に至ったものだ。
東海村では1999年9月に核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)による臨界事故が発生、村上村長の判断で住民の避難を決定したことがあった。その2年前には、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)東海事業所の再処理施設で火災爆発事故が発生、少量ながら放射性物質が漏えいしたという。
東海村出身の村上氏は、故郷が「原子力発祥の地」となることを目撃し、そのことに少なからずあこがれや誇りを感じており、原発に否定的な意見を持っていたわけではなかった。
しかし、村長としてさまざまな事故に直面し、国の原子力管理体制のずさんさを身を持って経験したことから次第に、原発やそれを支える「原子力ムラ」の存在、安全神話に疑問を抱くようになったという。
村上氏は、村が原子力関連産業に「経済的に依存しているというのは、事実です」としながら、原発マネーは地域やそこに住む人々を真の意味で豊かにするものではないという。同氏は原発を「一炊の夢」と呼ぶ。
村上氏は、本書の校了日の13年7月24日に5期目の村長選への不出馬を表明。9月の選挙では、同氏が「後継」と位置付けた前副村長の山田修氏が当選した。