霞ヶ関官僚が読む本
福島原発事故と新リスク思考法 「悪しき完全主義」どう克服

   この3月で、「第二の敗戦」ともいうべき、東京電力福島原発事故が起きてまる2年となった。東日本大震災とそれに起因した大津波により、被災後に体調を崩した方を含め、平和裏に暮らしていた2万人を超える方々が亡くなられ、行方不明になったという痛恨事も生じたが、多くの人々が畏怖したのは、放射性物質と放射線による影響のことであった。

   霞が関では、有志が企画した連続講演会「放射線について『知って・測って・伝える』ために」が昨2012年9月以降、4回開催された。各府省庁の職員を対象にしたもので、冷静に判断・情報提供・行動するためのヒントを得ることが目的だ。筆者もそれに参加し、我々が無意識のうちに前提としていた、リスクへの考え方を大きく転換しなくてはならないのではないかと考えた。

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一部マスメディアの「非理性的」報道


『「ゼロリスク社会」の罠』

   これについて、大いに参考になるのが、『「ゼロリスク社会」の罠』(佐藤健太郎著 光文社新書 2012年9月)だ。サイエンスライターの佐藤氏は、「なぜ人は、リスクを読み違えるのか?―実のところ人間という生き物は、決してあまり合理的にはできていません。これは、人間が危険を判断する系統を2つもっているためです。先祖からの記憶や自分の経験をもとに瞬時に判断し、素早く反応するための『本能』の部分と、頭でじっくり考えてリスクを判定する『理性』の部分の2つです」(26ページ)と指摘する。

   「理性」で考えれば、一部マスメディアが科学的根拠もなく垂れ流すような、福島にいて結婚できない身体になるということもないし、今後深刻な健康被害を受けるような状況にもない。健康診断を受けるのは煩わしいが、いまの地を離れるかどうかについても冷静な判断が必要だ。

「涙なくしては読めない」現場の奮闘

   また本書は、英国の著名なサイエンスライターのジョン・エムズリーの「自分なりにリスクのものさしを持ち、あるラインまでは受容する覚悟を持つべし」との言葉を引き、「定性思考」から「定量思考」へという考えを提唱する。リスクのあるなしだけの定性分析から、定量的なデータを求めリスクを量るという、より高度な定量分析への転換だ。

   よく官僚の「無謬性」が批判されるが、日本人のゼロリスクを求める「悪しき完全主義」がこれを助長していることは間違いない。定量的データに基づいて理性的・実践的な判断ができるようになるかどうかが、日本の将来の行く末にもかかわるように思う。そのためにも、人々のリスク認知を歪めないように、政府が信頼を回復できるのかが厳しく問われていることを痛感する。

   田崎晴明著『やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識』(朝日出版社、2012年)、そして、名著『「核」論』の増補版、武田徹著『私たちはこうして「原発大国」を選んだ』(中公新書クラレ 2011年)は、「理性」のための必読本だ。『通貨烈烈』、『同盟漂流』などで著名なジャーナリストの船橋洋一氏の『メルトダウン・カウントダウン』(文藝春秋 2013年)は、周到な取材力・構成力で事故を描いた。今後原発事故の定番の本となるに違いない。日本政府のトップの、「理性」ではなく、生存「本能」だけが評価されているというのは全くもって残念な結論だ。

   第2次大戦の無名の兵士たちの証言を丹念に取材してきた門田隆将氏の『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP研究所 2012年)は、お粗末な支援体制の中で、郷土を守ろうと奮闘する現場を貴重な証言で描く。理性的であろうとしても、涙なくしては読めない傑作だ。

経済官庁B(課長級 出向中)AK

   J-CASTニュースの新書籍サイト「BOOKウォッチ」でも記事を公開中。

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