【北京発】当局「鶴の一声」で反日デモ雲散霧消 それでも怖い「日本人の子供の臓器は高く売れる」の噂
デモの嵐があけて翌日、北京に平穏が戻ってきた。2012年9月19日、予測されていた北京での反日デモは実施されなかった。なんと北京市公安局が市民に携帯メールで、「大使館区域への抗議には行かないよう、また、良好な交通と社会の秩序の維持のため関係当局に協力してほしい」と市民に送ったという。
外国人の携帯には届いていない。さすが中国。国民に一斉メールを送るシステムがあるのかと、そっちの点でびっくりした。日本大使館付近に行ってみたら、18日には1万人、といわれたデモ隊が、19日には1人もいない。閉鎖されていた道路も車が通行できるようになった。
大使館そばの日本人向け公寓
大使館の斜め前にある日本人が多く住む公寓前。デモが明けた9月19日も正門前と道路の間は、二重の柵で仕切られ、警官が警備中。
襲撃を受けた日系店舗を別にすれば、今回北京で、反日デモによる被害を最もこうむったのは、大使館のすぐ向かいの日本人が多く住む公寓の住民らだろう。この公寓は、一戸建てタイプ、日本と同様の間取り、お風呂も日本式という点が人気で住民のほとんどが日本人だ。
公寓内の小さなマーケットには日本の食材や調味料が豊富に取り揃えられ、門を出てすぐの通りには、寿司、ラーメンその他日本食レストランが軒を並べる通りがあり、日本人にとっては非常に住みやすい環境にある。この中にだけいれば、ミニ日本。中国語も英語も不要、という環境だ。
日本人公寓に住む利点はもう一つある。多くの駐在員が妻子を連れている。2、3年後に帰国することを考えると、日本人学校に子供を入れる家庭が多い。日本人が多い公寓に住むと、子供は放課後、帰宅して自由に友達と遊べる、という利点がある。
妻と子供たちは半ば軟禁状態
看板に富士山をデザインしたこの和食レストランには、「釣魚島(尖閣諸島)は中国のもの」という中国語横断幕が掲げられていた(画面左)。
実は中国では「日本人の子供は予防接種を完璧にやっているので闇市場で臓器が高く売れる」という怖い噂がある。臓器を売られてしまわなくても、髪を剃られ中国風の服を着せられ列車で地方に連れていかれてしまったら、一生見つけることができないともいう。なので、小学生が帰宅後、1人で公寓外のお友達の家に遊びにいくなどは、もってのほかだ。友達と遊ぶには親の送迎が必須となる。しかし、親としても毎日子供の送迎をするのはたいへんだ。しかし、日本人が多い公寓に住めば、子供同士で自由に行き来できる。親も楽だし、子供も日本ほどではないが自由を満喫できる。
ところが最近、日本大使館がこの公寓の近くに移転してきた。公寓は、亮馬橋路を挟んで日本大使館の斜め前に位置している。亮馬橋路は18日まで車の通行が禁止され、歩行者天国状態。デモ隊は、大使館の前だけでなく、公寓の正門前も国旗を掲げて通過する。公寓正門前は公安が警備。駐在員家庭には、会社から「家族は外出しないように」と勧告が出されていたそうで、夫は裏出口から出勤するが、妻と子供たちは半ば軟禁状態。買い物も自粛、敷地内に響くデモ隊の罵声を聞きながら、息を潜めるように生活していたという。
中国人の知人は、「あの公寓は日本人が多いと中国人はみな知っているから、近づかないほうがよい」と警告してくれた。住人からは「私たちは人質みたいなもの……」と半ばあきらめの声も聞こえてきた。近くにある別の日本人公寓の住民も、「9月18日は子供の声が敷地外に届かないように気をつけていた」という。
デモ期間中、少し離れると和食レストランも普通に営業
デモ期間中、公寓内マーケットでは、めぼしい品物がすぐに品切れになったそうだ。中国語が堪能な人は裏口からこっそり出て徒歩で市場へ買い物にも行けたというが、日本人とばれるのを恐れる人は備蓄食料で暮らしていた。数年前の鳥インフルエンザ、豚インフルエンザ騒ぎのときに食料備蓄が盛んに推奨されたので、どの家もある程度の備蓄はしている。しかし、生鮮食品が不足する。友人は「お米の備蓄があるから飢えはしないけれど、パンが食べたい」とこぼしていた。確かにパンは保存がきかない。
デモ期間、大使館近くに住む日本人はこんな不便な生活を強いられたが、少し離れると、気抜けするほど平穏だった。往来で大声の日本語で話すことはさすがに避けてはいたが、和食レストランも普通に営業しており、中国人もみな平然と食事をしていた。
最大のデモが明けた9月19日、封鎖されていた大使館前の道路は車が通行可能となったが、車道と歩道との間は柵が二重に隙間なく並び、2、3メートルおきに警官が立ち並んで警備していて、ものものしい。大使館前の日本人公寓の正門前も歩道と車道の間に、柵が二重に設置されている。またいで外に出られないわけではないが、警官の目に気おされる。外出できたにしても、この近辺ではやはりまだ日本人とわからないよう注意せねばならない。日本人が肩の力を抜いて暮らせる日が待ち遠しい……。
小林真理子