アジア諸国への謝罪「何のため」に続けるのか 昭和史大家が問う戦争とタブーと語り継ぎ

   2012年8月15日、日本は67回目の終戦記念日を迎えた。

   「太平洋戦争」を実際に経験し、記憶した人々が世を去りつつある今なお、日本人は先の戦争を「歴史の中にどう位置づければいいのか」定められていない――そんな問題意識を持つ昭和史の大家・保阪正康さんが語り下ろしたのが、『昭和史、二つの日 語り継ぐ十二月八日と八月十五日』(山川出版社、1680円)』だ。

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日本人は戦争をどう受け止め、何を見落としてきたのか


『昭和史、二つの日 語り継ぐ十二月八日と八月十五日』

   『東条英機と天皇の時代』、『昭和陸軍の研究』、『瀬島龍三―参謀の昭和史』などを代表作とし、一連の昭和史研究で第52回菊池寛賞も受賞した著者による「肩の凝らない歴史談義」と銘打つ。とはいえ、アカデミズムとジャーナリズムのさまざまな視点をもりこんだ本格派の内容だ。

   太平洋戦争開戦の日と終戦の日を軸に、日本人は戦争をどう受け止め、何を見落としてきたのか、実体験や取材秘話をもとに浮き彫りにしている。

「思い出したくない、忘れてしまいたい」という感情

   五輪女子サッカー日米決勝戦の背後で、ツイッターのトレンドワードに「pearl harbor(真珠湾)」、「Jap(日本人の蔑称)」という言葉が上がった。ことほどさように、一定数のアメリカ人が「真珠湾攻撃」を屈辱的な出来事として記憶している。

   一方、日本人の間では敗戦の衝撃とGHQのもと「他動的に作られた歴史観」により、太平洋戦争を「思い出したくない、忘れてしまいたい」という感情が長らく働いてきた。

   「戦後の日本は、ナショナリズムや軍事をタブーに」し、戦争について事実の公開や分析を尽くさず、本質をとらえ損なった。その結果、極東アジアの一部の国家に対して世界でも例を見ない回数の謝罪を「なんのためかわからない」まま続けていると著者は指摘する。

   知らないゆえの想像力の欠如は軽率な言動を招き、謝罪との矛盾に、相手国はかえって不信感を広げてしまうというのだ。

   だからこそ「(戦争を体験していない)子や孫の世代の想像力を鍛えるべく、自分たちの記憶や体験を伝えていく務めがある」と著者は本書の趣旨を説明する。

   過去の記憶が国家間の争点に持ち上がってくることは珍しいことではない。戦争をどう捉え、周辺国との関係を含めた国の未来をどうつくっていくのか――「同時代史」が「歴史」にかわっていくなかで、日本人はようやく、考えるべき岐路に立ったのかもしれない。

   2012年8月1日、刊行された。

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