【書評ウォッチ】積み重ねられた体質や構造 「東電もの」異色の一冊
【2012年7月22日(日)の各紙から】福島第一原発の事故以来、「東電もの」の本があふれている。同社の歩みを事故のはるか前からたどることで、積み重ねられた体質や構造をついた一冊が『「東京電力」研究 排除の系譜』(斎藤貴男著、講談社)だ。東電に限らず、企業体質が硬直することの恐ろしさを冷静に考える必要が、たしかにある。
「霧の中から東電が、そして<日本>がぼんやりと浮かび上がってくる」と、ノンフィクション作家の後藤正治さんが朝日読書欄で評している。
「東京電力とは日本そのもの」という思い
『「東京電力」研究 排除の系譜』(斎藤貴男著、講談社)
事故の原因究明はとことんなされなければならない。これまでにわかったことだけで十分か、まだ何か隠されてはいないか。依然としてそう疑ってしまう状態がつづいている。ただ、やや別の角度から、この本は考えていく。大事故が起きれば、優良企業が欠陥企業として指弾される、社長や会長の責任も当然、問われる。でも、それだけでいいか。
東電の「中興の祖」といわれた木川田一隆氏は、自由主義者・河合栄治郎に傾倒し、企業の社会的責任を掲げた。木川田氏の後継者で経団連会長ともなった平岩外四氏の蔵書は3万冊。ともに教養人として知られた。
しかし、両氏が東電の経営をひっぱった時代に9電力体制が確立し、労使協調が進む一方で原子力ムラが形成され、現場の下請け化が進行し、CMによるマスコミ対策も浸透した。盤石の体制構築のなかで、開かれた社風、チェック機能、批判を受け入れる柔軟性、公明正大さはどこへ……。そのツケが一気に出たとすれば「硬直した体質に無縁な企業はほとんどない。東京電力とは<日本そのもの>という思いがよぎる」と評者が言うのも無理はない。
究明の試みに「聖域」はない
本は日本社会の歴史を再点検する作業に通じる。企業や政財界、ときにはマスコミによってつくられたイメージや既成概念にとらわれず、この本の視点を正確な事実に基づく評価と批判の第一歩としなければ。究明の試みに「聖域」はない。
このほか、『梅原猛の授業 能を観る』(梅原猛著、朝日新聞出版)がおもしろい。能の名作といわれる15作の内容と構造を紹介。「能にはほとんど馴染みのない者にとって、絶好の水先案内」と、毎日で中国文学者の井波律子さんがすすめている。
読む人にイメージ豊かに語りかけ、臨場感もゆたかに能舞台を思い描かせるという。独特の用語や歴史的背景の解説も。能を実際に観ても観なくても楽しめそうな一冊だ。
(ジャーナリスト 高橋俊一)