無実の人はこうして「犯人」にされた 「冤罪生む構造」を弁護士が暴く
小沢一郎氏裁判で東京地検特捜部が検察審査会に虚偽の捜査報告書を提出していたことは記憶に新しいが、日本では検察の暴走に起因する冤罪が絶えない。
帝銀事件、松川事件から、松本サリン事件、足利事件等々に到るまで、数々の冤罪が繰り返されてきたが、その構造にメスを入れた今村核著『冤罪と裁判』が、講談社から2012年5月20日に刊行された。
『冤罪と裁判』が描く制度的歪みとは
『冤罪と裁判』
日本の刑事裁判での有罪率は99.9%で驚くほど高いが、世界の水準から見ると遅れている。著者は弁護士として20年、冤罪事件を多数担当し、11件の無罪判決を勝ち取ってきたが、その出発点は有罪とされた元被告人のなかに無実の人々がかなり含まれているのではないかと考えたことによる。
本書では、まず最近20年ほどの典型的な実例を挙げて、冤罪がなぜ生まれるのかを検証している。どのように虚偽の証拠が作られ、なぜ裁判でそれが虚偽とわからないのか、という観点から、虚偽自白、目撃証言、偽証、物証を、科学判定、情況証拠、それぞれのケースに分けて考えている。
日本における捜査は取調べが中心であり、大量の供述(自白)調書を作成するのが特色である。裁判でも供述調書が重視され、検察官が証拠を独占して、被告人に有利な証拠を開示しないこと。裁判官の「有罪慣れ」による「疑わしきは被告人の利益に」の原則が薄れていること。などの制度的歪みが、「冤罪を生む構造」に寄与してしまっていると著者は指摘する。
裁判員制度の検証始まる
そんななかこの5月21日で実施3年となった「裁判員制度」は、裁判員に負担をかけられないという志向から審理のスピード重視となっていて、「捜査のあり方」と「審理のあり方」のバランスは取れているのか、ということにも本書は言及している。また、職業裁判官と裁判員裁判による判決の違いについても探っている。
検察と裁判のあり方を考え直す声が高まり、また裁判員裁判が実施後3年での検証見直しが開始される今、冤罪と刑事裁判を問い直す本としてスリリングな一冊である。