「大震災」から1年たった今なにができるか? 冨田 晃の答えは『いのり』
『いのり』
冨田晃
『いのり』
OMCA-1148
2000円
2012年2月1日発売
オーマガトキ
"祈り"を具体化する作業
未曾有の大災害となった2011年3月11日の東日本大震災。
あれから1年が経った。
日本中の誰もが、戦慄し、泣いたあの日から、さまざまな闘いと復興への歩みがはじまっていた。
昨年4月、波形編集という稀有な音作りで『月の光 ドビュッシー作品集』を発表、このページでも紹介した弘前大学・冨田晃准教授も、すぐに「自分にできることから」と現場に出向くボランティア活動を始める。
と同時に、それとは異なる形で「なにかをやりたい」と模索し始める。
冨田「地震がおきてすぐにボランティアに出向いた一方で、自分でもなにかはわからなかったけれど、それとは違う形でできることがある、それをやりたいと思った。そして行き着いたのが、敢えて言葉にすれば"祈り"ということだった」
現地に身体を運ぶボランティアもやるが、それとは異なるアーティスト・表現者としての欲求ということなのかもしれない。
もう一度書くが、それは"祈り"だったと冨田は言うのだ。
"祈り"は一般に宗教的行為と受け取られるが、冨田はこう表現する。
冨田「もし自分がクリスチャンとか仏教徒であったならば、それぞれの定型の方法で祈ることができただろう。しかし僕は特定の宗教を持たない。だから自分なりの"祈り方"をつくるしかなかった。それで、自分も祈り、誰でも祈れる方法としての音を作りたかったのかもしれない」
「人類であれば同じ地平に立てる"祈り方"」を模索したのだという。
冨田は前回も紹介した通り、写真家でもある。音作りと同じ発露として作品化しているのが、被災地で夜、早朝にマッチを擦って、その小さな火の軌跡を写真にすること。それらの作品をジャケット背面や中面に載せた。
冨田「マッチを擦って写真化するのも、波形編集で音を貼り付けていくのも、同じことをしているような気がする」
それこそが、まさに冨田にとっての"祈り方"であり、それに共感することが、例えばボクのようにリスナーとして冨田作品と向き合った者の"祈り方"にもなるということなのかもしれない。
心の変遷が選んだ「不屈の民」
今度のアルバム『いのり』のメインの曲でもある「不屈の民」は、チリのヌエバ・カンシオン(新しい歌)と呼ばれる曲の中でも、中南米ではポピュラーな「革命歌」として知られる。そのタイトルを東北の人々に重ね合わせているのだということは、良く分かるのだが、冨田自身、中南米のホンジュラスで活動していた時期も長く、中南米革命の最前線を生きてきてきた。そうしたこともあっての選曲だったのだろうか?
冨田「その前に、まずそう簡単に『頑張ろう』という気持ちにはなれないということがある。実際、悲しくとてつもなく辛い人々が大勢いる、そんなに簡単に『頑張ろう』とも言えないし、頑張れるわけがない。まず、音楽はいらない。音もいらない。できるだけ刺激の無いほうがいい。
それが徐々に音なら許せるという思いになり、音楽も許せるようになる。なにも要らないという状態から少し脱却した、そうした人々に寄り添っていけるものが作りたかったのだと思う。
選曲に関しては、「不屈の民」は「人々は団結し決して負けない」という歌詞を持っている曲。僕は正直、連帯だのということが好きではない、一匹狼タイプ。ただ、今回の出来事に対してだけは、さすがに参った。この曲は、人と繋がりたいという人間の本質的な欲求を感じさせるもので、実はそれがないと人は生きていけない、それが大切だという気になった。そして、この曲がおのずと自分の中に湧き上がってきた」
ただ「不屈の民」は最後に選曲されたものだという。
冨田「初めはバーバーの「弦楽のためのアダージョ」やラフマニノフの「ヴォカリーズ」、マーラーの「アダージェット」といった追悼曲からつくり始めた。それらは自分自身の思いを反映していたのかもしれないが、曲想としては重い。皆さんに聴いてもらうには、そして、明日にむかって力づよく生きていくにはと、「不屈の民」が出てきた」
「心の変化としては」と冨田は続けた。
冨田「寄り添うことからはじまって、作品の世界を貫くストーリーが必要とするものとして「不屈の民」があった」
寄り添うことの意味
一匹狼と冨田は自分自身を評し、ただし、いまはそれではいられないと吐露もした。
このアルバム作りには、普通なら自分の作品で飾るであろうジャケットやPVに、他のアーティストの作品を使っている。
冨田「結果としてこういうものができた。ジャケットのイラストや、PVとしての動画も自分の1年間の心の動きの中から派生してきている」
ジャケットのイラストは冨田の同級生、画家の榎俊幸氏の「ナマステハンズ」という作品。榎氏の作品は村上春樹の文庫版「東京奇談集」の表紙にもなっている。PVの動画作品は青森をベースに活動し東北の風景を美しく撮る映像作家・Aomorigonta氏とのコラボ作品だ。
冨田「僕は、音を創ることに集中したということになるかな。ジャンルにこだわらず、音創りに最大の気配りをした。
どういうことかといえば、波形編集で音を創ることはできるけれど、生の音の方が良いのは当然。ただCDの音の方が良い場合もある。辛い時に人に寄り添えるのは生の演奏ではなく、1枚のCDなのかもしれない。生音を聴くにはどこかに出かけなければならないけれど、CDは聴きたいときにすぐに聴ける。パッケージメディアの価値は、各自の意志で再現できること。生はなにがしかの努力、偶然がなければ出合えない。
そうしたことを踏まえて、聴く人々に寄り添える音を創りたかった」
冨田は被災地を演奏ボランティアとしても駆け巡っている。ただしコーディネーターという黒子に徹して、学生など若いメンバーを前面に活動する。「おじさんが行ってもしょうがない」という。それでも実は、自分の立ち位置がないことに、一抹の寂しさも感じていた。
冨田「その中で僕が、被災した皆さんに寄り添えるには、"祈り"をCD化するという方法しかなかったということ。簡単に言えば、僕も学生達と同じように寄り添いたかった」
冨田は東日本大震災で、人間の本質を突きつけられたという。
冨田「人間が生きる本質は、誰とも違う私がここにいるという感覚と、誰かと繋がりたいという感覚の二つから成り立っている。どちらも本質ではあるけれど、それが大震災を通じて究極的な状況として立ち顕れてきた。プライバシーがなければ苦しいが、誰とも繋がっていないと思えば辛くなる。人間の一番大事なところがハッキリしてくる感じ。
お金で買えるような物は全部なくなると突きつけられたし、生命すら簡単に失われると思い知らされた。一番大切なものも無くなると分かって、初めて一番大切なものも見えてくる。理屈じゃなく、身体で分かるようになっている」
冨田 晃の波形編集第2弾作品は「3.11東日本大震災追悼」の意を込めた。
『いのり』に込められた音の一つ一つに、「祈り」の真音が貼り込まれている。
加藤 晋
【収録曲】
1.不屈の民 PartⅠ
2.弦楽のためのアダージョ
3.不屈の民 PartⅡ
4.ヴォカリーズ
5.不屈の民 PartⅢ
6.交響曲第5番 第4楽章 アダージェット
7.あこがれ/愛 *
(*Bonus Track)