「天才は独りぼっち」
やがて、海外コンクールで成功して帰国した小澤さんに、日本で「大事件」が起きる。「N響ボイコット事件」として語り継がれている。
演出家の浅利慶太さんが、自著『時の光の中で―劇団四季主宰者の戦後史』(文春文庫)で舞台裏を語っている。それによると、小澤さんは1962年、ニューヨーク・フィルの副指揮者に抜擢され、翌年NHK交響楽団の客演指揮者にも招かれる。
ところが、伝統を誇るN響の楽団員たちは「指揮に疑問が多い」と事務局に申し入れ、小澤さんをボイコットしたのだ。今では考えられない大事件だ。小澤さんは思い上がった若造なのか。それともN響が尊大なのか。浅利さんは小澤さんと親しく、この事件の収拾で奔走する。
中止が決まっていたN響公演の当日、浅利さんは小澤さんに燕尾服を着せて会場の東京文化会館に行かせた。もちろん楽団員は一人もいない。譜面台の前で立ち尽くす27歳の小澤さん。すでに有力な新聞社には取材を手配済みだった。カメラマンがシャッターを切る。夕刊各紙に「天才は独りぼっち」の記事。この日を境に世間の目もマスコミの論調も180度変わったという。浅利さんの「演出」が成功したのだ。
小澤さんは、最終的にNHKと和解したが、海外に活動の拠点を移す。そして「世界のオザワ」へと飛躍することになる。