「世界のオザワ」はいかにして生まれたか 並外れた「突破力」と稀有壮大な心意気

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「当たってくだけろ」の精神

   10代半ばから20代前半の小澤さんは、厳しいレッスンに耐えながら、いわば背水の陣で指揮者をめざす。ところが、仏政府の留学試験に落ちてしまった。当時の小澤家の経済状態から、自費留学は不可能だった。

   小澤さんが思いついたのは、スクーターによる海外進出だ。東京じゅうのスクーター会社を訪ね歩いて、なんとか富士重工からラビットスクーターを借りて貨物船に乗り込むことができた。2か月がかりで、貨物船が南仏マルセイユについたところで下船。スクーターでパリをめざした。

   弟の幹雄さんは、「このあたりは、得意の『当たってくだけろ』精神だ」と小澤さんの並外れた突破力を評価する。そして、「どうみても天才型の人間の姿ではない」としつつ、「何事にもどこまでもあきらめないでがんばる。そのねばりだけは天才的である」と、若いころの兄を振り返っている。

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