ニューズウィーク日本版(10月31日号)の「Tokyo Eye」で、イラン出身の異文化交流アドバイザー 石野シャハランさんが、日本のテレビの「幼稚さ」を嘆いている。
1980年にテヘランで生まれ、2002年に留学のため来日したシャハランさん。日本人女性と結ばれ、7年前に日本国籍を得た。「住んで22年にもなるが、いまだに慣れないのは、英語で話しかけられることでも、役所で在留カードを見せろと言われることでもない。テレビ番組がどうしようもなく幼稚であることだ」と 本作は始まる。
「食べ歩き番組、たくさんの芸能人が大騒ぎするバラエティー、若いタレントが演じる能天気なドラマ、専門家でもない芸能人や元スポーツ選手が時事問題にコメントするワイドショー...娯楽だから楽しければいいじゃないかという意見もあるし、硬派な報道番組もあると言う人もいるが、いかんせん幼稚で見るに堪えない番組が多すぎる」
著者は、旧ジャニーズ事務所の性加害問題が長らく放置されてきたのも「テレビ局とスポンサーの視聴率至上主義」が最大の要因と考える。
「スポンサーのプレッシャーのもと、テレビ局が手っ取り早く視聴率を稼ぐために 人気アイドルを起用した番組を作り続けてきた...制作現場も視聴者も慣れてしまい、これが当たり前...と思ってきた。だが日本を一歩出れば、全くそうではない」
フワフワの番組
一例として、シャハランさんは出身国のテレビ事情を挙げる。イランの放送局は全て国営、しかも現体制は強権的だ。言論統制の下、画面に映るのは高圧的な政府広報か、権力に媚びた退屈な番組だけ...というのが大方のイメージではなかろうか。
「確かに政府に都合のよいニュースばかりが流れるが、はっきり物を言う国民性からか、政府や社会を批判し、揶揄するトークショーも同じくらい放送されるし、社会問題を扱う重い内容のドラマも多く、人気がある」
たとえばイスラム教の因習や 女性の人権問題。テレビでは、逮捕や投獄のリスクを冒し、政府の監視網をかいくぐって発言する出演者も多いという。問題を抱える厳格な社会であるからこそ、テレビは時に声を上げ、視聴者もそれを支持するそうだ。
「では、日本は平和で社会問題もなく、多くの人が幸福に暮らしている社会だから、こんなにフワフワした番組ばかりが制作されるのだろうか。そんなはずはない。日本にも社会問題はある。経済格差、教育現場の疲弊、福島第一原発の処理水、少子高齢化、子供の貧困や虐待、政府の債務の拡大。どれも一朝一夕に解決できるものではない」
シャハランさんの疑問は、それらを正面から取り上げる番組があまりに少ないこと。討論やドキュメンタリーはもちろん、ドラマのテーマにもなってもおかしくないのに、そうならないのは高い視聴率が望めないからなのかと。
「そういった番組は日本では望まれていないのだろうか。日本人が物を考えなくなったからテレビが幼稚になったのか、テレビが幼稚だから日本人が物を考えなくなったのか、どちらだろう」
退化させ合って...
ちなみに、シャハランさんの日本人妻はイランのテレビドラマが苦手だという。理由は明快で 「終わりまでずっと暗いから」。それでも日本の「フワフワした番組」よりはるかにマシ、というのが夫の見方のようだ。
辛辣なテレビ批判である。序盤で筆者が並べた四種の「幼稚番組」のうち、「食べ歩き」と「能天気ドラマ」の受け止め方は視聴者それぞれだろう。私は食べ歩き・飲み歩き系の番組は好きだし、よく見ている。ドラマもピンからキリまでだ。
一方、バラエティーとワイドショーについては筆者にほぼ同意する。とりわけ娯楽と報道の間を漂う「情報番組」なるものには、時にうさん臭ささえ覚える。
こうした番組に登場するコメンテーターの仕事は、硬軟あらゆるテーマで気の利いたコメントを手短に発すること。専門性や基礎知識より「スタジオでの運動神経」が重視される。だから芸人が平気で中東情勢を話し、元アスリートがもっともらしく猛暑を語る。
重宝されるのはアドリブが利き、場の空気を読めるテレビ人だ。司会者に急に振られて口ごもっていれば、たちまちチャンネルを変えられてしまうだろう。
専門家も呼ばれるが、やりとりの相手はMCを含め素人だから議論は深まらない。こうして国際ニュースが消化不良のまま終わり、続いて芸能ゴシップ、猟奇殺人を挟んで可愛いペット動画、人気のスイーツへと話題はブツ切りで移っていく。
制作側は視聴者に媚び、そのレベルに合わせ、視聴者は番組に感化され、互いに「退化」させ合っているようにも見える。いまさらテレビに何を期待するのか、という声もあろうが、その影響力はなお侮れない。シャハランさんに言われるまでもなく、関係者の多くがこのままではまずいと考えているはずだ。そう信じたい。
冨永 格