出陣は「家名」を守るため
三田村さんと同じように「冷めた気持ち」で壮行会に参加した学生は少なくなかったようだ。
慶応大生だった岩井忠正さんも壮行会に参加し、のちに特攻兵となった。著書『特攻――自殺兵器となった学徒兵兄弟の証言』(新日本出版社、弟の岩井忠熊さんとの共著)に、当時の複雑な思いをつづっている。
それによると、戦争末期、もはや「戦争批判」は口にできなかった。それは「不逞な考え」であり、「世間で一番厳しいタブーを犯すことになる」からだ。いまや、時流に逆らうことは不可能という「自己説得」のもと、「いさぎよく」召集に応じた。学徒出陣式には「冷ややかな気持ち」で参加した。死ぬことは分かっていたから、「一発ドーンと行ってやれ」と特攻に応じたという。
『ベニヤ舟の特攻兵――8・6広島、陸軍秘密部隊レの救援作戦 』(豊田正義著、角川新書)にも同じような証言が掲載されている。
壮行会に明治大学生として参加した菅原寛さんが、著者のインタビューに「私はこれっぽっちも戦争に行きたくありませんでした」と語っている。もし徴兵逃れをしたら、両親が「非国民」と罵られる。出陣に応じるのは「家名」を守るため、と自分に言い聞かせていた。だから出陣式で代表の東大生が「生等(せいら)もとより生還を期せず」と答辞を読んだとき、怒りで煮えくりかえった。「あの答辞は君の本心なのか! それとも軍部の命令で言わされているのか」と問い詰めたい気持ちだったという。
朝日新聞に投稿した三田村さんは、代表答辞の「もとより生還を期せず」というところで、東大生の声が一段低くなったのを覚えている、と書いている。