週刊文春(9月28日号)の「この味」で、平松洋子さんが食卓の下で展開する隠微な営みを書いている。食エッセイのベテランとして、テーブル上の事物は書き尽くしたかにみえる平松さん。「下」に注がれる視線と分析にもスルドイものがある。
残暑がじりじりと痛い昼のことだ。資料用の本を図書館で見つけた帰途、平松さんはカレーを食べようと思い立ち、駅への道にあるインド料理店に立ち寄った。広い店内には女性の三人連れがひと組だけ。そこから3mほど離れた席につき、注文を終え、借りたばかりの本を読み始めた筆者は、ふと先客のテーブルに視線を泳がせた。
40代と思しき女性たちは落ち着いた雰囲気で、ナンをちぎっては 慣れた手つきでカレーに浸している。都心のホテルラウンジでも違和感のない所作だったという。
「おや、何だろう。目の端でチラチラ動くもの、あれは」
平松さんの眼差しは、そのチラチラを追ってテーブルの下へ移る。麻の白シャツをまとうマダムが、サンダルのベルトを裸足の親指に引っ掛け、ぷらぷらと揺らしていた。
「くつろいでいるんですね、ヒールは疲れますね。ご当人の心の声に相槌を打つのだが、とはいえ、テーブルの上と下の光景のギャップの激しさに、私の目は釘づけになった...視界に入り込む足先のアクロバット。お仲間の二人には知るよしもない...」
男女がぎゅっと
淑女の足遊びをぼんやりと眺めつつ、平松さんの脳裏に記憶が二つ蘇ってきた。まずは二十代の頃、年上の知人に連れられて入ったレストランでのことだ。
「ほら、あそこ」と友人が目配せする。斜め向こうのテーブを見やった筆者は、瞬時に状況を理解した。卓上では30歳前後の男女がやや緊張した様子で食事をしていたが、白いテーブルクロスの下は別の世界。女性は10㎝ヒールのパンプスを揃えて脱ぎ、それを挟んで網タイツの脚が、30度ほどの開脚状態でスカートからカーペット上に伸びていた。
「緊張の反動、それとも退屈なのか。せめてテーブルの下だけは解放されたい...隠したつもりでも、少し離れれば全部見える。まるでコメディの芝居の一場面...」
二つめの思い出は、仕事で知り合ったばかりのテレビ関係者2人と、先方が予約した小さな店で会食した折の出来事だ。平松さんはテーブルを隔てて、横並びの男女と対面する形となった。楽しい会話と食事が続き、2時間ほどたった頃である。
「私がワイングラスを持ち上げて口に運んでいると、テーブルの下、電光石火の動きで彼らが一瞬、手をぎゅっと握り合うのが見えた。テーブルの木材の合わせ目のスキマを通して。ええっ。目の前のふたりは揃って私を見ているのだから、いまのはマボロシだと思うことにしたけれど、しばらくもやもやは消えなかった」
それはワインが回っての幻覚ではなかった...その後の展開は引用元で。
死角の下半身
英語で〈under-the-table〉と並べれば「闇取引の、違法な...」という形容詞になるらしい。テーブルの上が公式、建前、社交儀礼が支配する空間なら、下は私情、本音、我欲むき出しの領域とでもなろうか。コタツの中ほどではないにせよ、会食相手からは見えない(はず)という安心感が、人を大胆にさせる。
しかしその人間くさい行動が、他の客から丸見えだったり、どうかすると会食相手にも気づかれていたりする。お酒が入る席は なおさら油断できない。
さて 平松さんの目撃談、三つのうち二つは女性がヒールのある靴を脱ぐ話である。ハイヒールが両脚に強いる緊張と疲労がどれほどのものか、経験のない私には想像もつかない。ただ、チャンスがあれば短時間でも脱ぎ散らかしたいものらしい。
下半身がすっぽり死角に入る会食の席は、なるほどチャンスには違いない。同席者がわざわざのぞき込んだり、急に立たされたりする心配はない。
これに対し、三つめの話に登場するテレビ界の男女はかなり大胆、というか図々しい。彼らにとって、平松さんは初対面に近い「お客さん」だろう。社費による接待かもしれない。そんな公式度が高い席で、それぞれ配偶者がいる二人がこっそり手を握り合う。私が平松さんなら 舐められたものだと思うし、一緒に仕事を続ける気も失せる。
平松さんは「もやもや」と優しく表現しているが、その実質は呆れや怒りと思われる。テーブルという目隠しに、大人は甘えてはいけない。
冨永 格
(2023年10月17日14時追記)一部、内容を変更しました。