ハルメク10月号の「コトノハメクリ」で、看護師で僧侶の玉置妙憂さんが 世のガンバリ屋さんたちに「ひと休み」を呼びかけている。己に厳しいのもいいけれど、たまには自分を甘やかすことが大切だと。
「歳を重ねてくると、心配事は自分のことだけ、というわけにはいかないものです。親御さんのことや、お子さん、お孫さんのことまで、なんとかしなければならない問題が周りに山積み...なんてことも、ときにはあることでしょう」
ハルメク読者の中高年を意識した書き出しだ。私たちは逆境や困難に出くわすと、つい「この壁を打ち破らねば」「ここが頑張りどころ」と正面から対処しがち。しかし、前途をふさぐ困り事の壁は、とりあえず今は休めという天啓でもあるという。
「なにも頑張って立ち向かうばかりが能じゃありません。ぼんやり眺めてやり過ごすことも、ときにはいい手だと思っています」
著者によれば、「諦める」は決して投げやりの言葉ではない。語源は「明らかに見る」...つまり自分が置かれた状況を冷静に観察、分析し、次の手立てを考えるプロセスである。夕立をやり過ごす雨宿りのように、止むのを待ちながら活路を探るイメージ。時間は費やしても、雨中の強行突破よりマシな未来が開けることもある。
自利が他利を生む
「とはいえ、これがなかなか難しい。困難な状況に陥っているときは視野が狭~くなっているので、がむしゃらになってしまいがち...自分を追い込んでしまえば、状況はさらに悪化...周囲から『休んでいいよ』と言われると よけい不安になってしまう」
ここで玉置さんは、釈迦の教えを引く。「自利」と「他利」をバランスよく回しなさいという内容だ。喉が渇いている時に、コップ一杯しかない水を他人に与えたとする。相手がうまそうに飲み干し、礼をも言わずに立ち去れば腹が立つだろう。しかし自分の喉が潤っていたらどうだろう。立ち去る背中を見送りながら 「そこまで喉が渇いていたのか...元気になってくれてよかった」と思うのではないかと。
「つまり、人の為になにかをしようとするときには、自分自身を満たしておくことも大切だという教えなのです...しんどいな~と感じたときには、思い切り自分を甘やかしてあげてください。まずは、あなた様ご自身が満たされないでは、周りにいらっしゃる方を満たして差し上げられるわけがないからです」
時には「自利」に徹し、いざという時の「他利」に備える感じか。
「この歳になりますと、もう周りはちやほやしてくれやしませんからね...『自分に厳しく、人には優しく』はかっこいいかもしれませんが、こちらだって生身なのだということを、どうぞお忘れにならないでくださいね」
ということで、今月の言の葉は...
〈苦しい つらいは「休め!」の号令 思いきり自分を甘やかして良し〉
肩書への信頼
気持ちがすっと軽くなる、妙憂師の誌上説法。今回はひと休みのススメである。時には自分を甘やかし、あえて頑張らない時間も必要だ、ある程度の余裕を残しておかないと 人助けもままなりませんよと。
玉置さんはまず「つらい時や困った時は休もう」と提案する。それでも休むことに抵抗のある「まじめなあなた様」のために「自利と他利」の話を引き、休みの利点を説く。そんな二段構えで、つい頑張ってしまう日本人の思考をほぐしてゆくのである。
「ご自分の存在理由」「他人様の利益」「あなた様ご自身」「満たして差し上げる」といった丁寧な言葉遣いが、読む者の心奥に論旨を運び届ける。ラジオの電話相談や講演活動で培った、語りのノウハウだろう。
心が疲れたら休もうという「教え」そのものは常識的で、特段の目新しさはない。しかし、看護師にしてケアマネージャー、そして高野山真言宗の僧侶という 唯一無二の肩書が、一行一行に説得力を与えている。
時に、「何を語るか」と同等以上の重みを持つのが「誰が語るか」だ。同じような情報や助言、意見でも、発信者の信頼性が その伝播力や浸透力を左右する。自己プロデュースの力量といい、玉置さん、なかなかの「独りメディア」である。
冨永 格