BAILA 10月号の「のっけから失礼します」で、作家の三浦しをんさんが「五十肩」の苦しみを伝えている。それも左右同時。両腕の自由が利かず、無理やり動かせば激痛が走る...そんな七転八倒の日々が ユーモラスに綴られる。
「激烈な五十肩に見舞われている。私は四十代後半なので、正確に言うと四捨五十肩...両肩の前面と 両の上腕部が猛烈に痛む...腕にちょっとでも角度がつくと、ギイィィンと骨まで響く金属質の衝撃が走る感じだ。声も出せず、三十秒ほど悶えてやり過ごす」
とりわけ就寝時が大変だ。どちらかの肩が下に来ると激痛を招くため、横向きはだめ。横向きを経由するうつ伏せもだめ。仰向けでも、何かの拍子で腕が「く」の字になると地獄...そこで右腕はウサギ型の抱き枕に、左腕は筒状に丸めた毛布に載せて寝る。
なんとか寝つけても、油断はできない。
「建て付けの悪い上げ下げ窓を一生懸命開けようとしている夢を見て、無意識のうちに力をこめて両腕を動かしていたらしく、『いてえぇぇ!』という絶叫とともに目が覚めた...前後の脈絡なく、『ただ窓を開けるだけ』の夢を紡ぎだした自身の脳を恨む」
不自由は昼間を含め生活全般に及ぶ。いちばん困るのがブラジャーだという。
外せないブラ
「ホックをまえにまわして留めても、そのあとブラジャーを正規の位置までぐるぐると戻す動きが痛くて、『泣きながらブラジャーを装着するひと』と化す。そして問題は、ブラジャーをはずすときだ...私の両腕はいま、お尻の上部あたりまでしか上がらない」
万策尽きかけた三浦さんの視界に、たまたま家を訪れていた父親の姿が入る。いや、たまたまではなく、日ごろから三浦さん宅に出入りし、大谷翔平選手の活躍をテレビで見るのを楽しみにしているらしい。
〈お父さん、悪いんだけどブラのホックはずしてくれない?〉〈ええー。お父さんいま大谷...〉〈大谷はいいから! あたしが五十肩に苦しんでるの知ってるでしょ〉
「父は渋々と、私のTシャツ越しにホックを探り当てるも、『あれ?』と もたもたしている...なんとかホックをはずしてもらい、ことなきを得た」
ブラ外しを老父に頼るのは如何なものかと思った筆者は、足元から引き上げられるキャミソール式のブラを購入した。ただ、肩ひもや背中のラインがよれても、自分では直せない。そのたびに大谷観戦中の父親を呼ぶことになる。渋る父に向かって...
「いいから! 大谷がすごい選手で肩がぐるんぐるんまわることは、私ですらすでによく知ってるから! どうしてひとんちで大谷を見るんだよ」
そうは言っても「ひとんち」で見てくれないと下着の位置は修正できないのだ。ということで、本作は(父ではなく)大谷への謝意で結ばれている。
「父が大谷選手に夢中すぎることが判明した。大谷選手の活躍のおかげで、私はキャミのよれを直したり背中を掻いたりしてくれる要員を確保でき、『肩がすごく動くうえに、こんな恩恵まで授けてくださるなんて...』と感謝している」
不便を明るく
五十肩、老父、そして大谷選手。三題ばなしのような構成である。
中年娘のブラジャーを外すのに手間取る老父に、三浦さんは言い放つ。〈貴様は、ブラのホックはずしたことないのかー!〉 父親も負けていない。〈なにを言うんだ、しをん。あらゆるブラジャーをはずしまくってきたお父さんに向かって!〉
半分は創作としても、一般的な親子とはひと味違う関係がうかがえる。ちなみに三浦さんの父君は千葉大学名誉教授(上代文学)の三浦佑之さん(77)だ。
軽い五十肩になりかけたとき、私もTシャツを脱ぐのに往生した覚えがある。ブラは未体験だが、背中のホックを外すのは 想像しただけで節々が痛む動作である。
夫や恋人に、ファスナーやホックの着脱を頼むことはあろう。赤の他人は論外として、父と娘というのは微妙な状況だ。年齢や日ごろの距離感にもよるが、三浦親子のあけすけなやり取りは微笑ましい。
お父さんが娘の家に入り浸る理由を、筆者はこう想像する。「母に『大谷ばっかり見てないで、庭の草でも抜いて』って言われるからだろう」...苦痛と不便の日々を明るく仕立てるプロの筆。三浦随筆に欠かせないお父様も、脇役としていい味を出している。
余人をもって代えがたし。著者宅でテレビを見るくらいの権利はある。
冨永 格