関東大震災から100年 「加害」の歴史「福田村事件」で映画化

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暴徒はむしろ自警団員

   ではなぜ当時「朝鮮人」にたいする警戒感が高まっていたのか。

   記録文学で知られる作家の吉村昭さんは、1973年に刊行した『関東大震災』(文藝春秋刊、菊池寛賞を受賞)で冷静に分析している。「明治43年(1910年)、強引に朝鮮を日本領土として併合」という歴史を踏まえながらこう記す。

「日本の為政者も軍部もそして一般庶民も、日韓議定書の締結以来その併合までの経過が朝鮮国民の意志を完全に無視したものであることを十分に知っていた。また総督府の苛酷な経済政策によって生活の資を得られず日本内地へ流れ込んできていた朝鮮人労働者が、平穏な表情を保ちながらもその内部に激しい憤りと憎しみを秘めていることにも気づいていた。そして、そのことに同情しながらも、それは被圧迫民族の宿命として見過そうとする傾向があった」
「祖国を奪われ苛酷な労働を強いられている朝鮮人が、大災害に伴う混乱を利用して鬱積した憤りを日本人にたたきつける公算は十分にあると思えたのだ」

   「朝鮮人が放火した」「井戸に毒を入れた」「襲撃してくる」などの流言については、「日本人の朝鮮人に対する後暗さが、そのような流言となってあらわれたことはまちがいなかった」「これらの流言のすべてが事実無根で、一つとして朝鮮人の来襲等を裏づけるものはなかった」と記している。

   「自警団」についての記述はさらに強烈だ。「凶器を手にした自警団は、完全な暴徒集団に化していた」「暴徒はむしろ自警団員らであった」と書いている。

   震災の4年前の1919年には朝鮮半島全土を巻き込む「三・一運動」が起きている。日本の支配に抗する大規模な独立運動だ。

   内閣府の「専門調査会報告書」も、「広範な朝鮮人迫害の背景としては、当時、日本が朝鮮を支配し、その植民地支配に対する抵抗運動に直面して恐怖感を抱いていたことがあり、無理解と民族的な差別意識もあったと考えられる」と分析している。

   映画「福田村事件」は 、テアトル新宿、ユーロスペースほかで全国公開される。

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