折口信夫や千田是也も体験
関東大震災の虐殺事件を調べた『九月、東京の路上で』(加藤直樹著、2014年、ころから刊)によると、自警団に詰問されたり、朝鮮人の疑いをかけられたりした日本人は少なくなかった。
国文学者の折口信夫は地震の3日後、下谷・根津方面に向かって歩いていたら、突然、刀を抜いた自警団と称する人々に取り囲まれた。
「その表情を忘れない。戦争の時にも思ひ出した。戦争の後にも思ひ出した。平らかな生を楽しむ国びとだと思つてゐたが、一旦事があると、あんなにすさみ切つてしまふ。あの時代に価(あ)つて以来といふものは、此国の、わが心ひく優れた顔の女子達を見ても、心をゆるして思ふような事が出来なくなつてしまつた」と回想している。
俳優座をつくった高名な演出家、千田是也は当時19歳。早稲田大学で学ぶ演劇青年、伊藤国夫だった。地震の翌日夜、「不逞鮮人」が押し寄せてくるというので千駄ヶ谷の土手に「敵情視察」に出かけた。そこで逆に、こん棒などを手にして提灯を掲げた一団に取り囲まれる。「国籍をいえ」「嘘をぬかすと、叩き殺すぞ」と追及された。早稲田の学生だといって、学生証を見せても信用されない。頭の上に薪割りを置かれ、「アイオウエオを言ってみろ」「教育勅語を暗唱しろ」と責め立てられる。たまたま自警団の中にいた近所の人が気づいてくれて助かった。
この恐怖の経験をもとに、「早稲田の伊藤国夫」はのちに「千田是也」と名乗るようになる。「千駄ヶ谷」の「コリアン」の意味だ。