「107年ぶりの優勝」「103年ぶり決勝進出」と、夏の甲子園での快挙を称えられている慶応高校(神奈川)。実は夏大会では、戦前から数えて今回が19回目の出場だ。1962年以降は甲子園の舞台から長らく遠ざかっていたが、21世紀に入り2008年、18年と出場している。
準優勝の仙台育英高校(宮城)は、昨夏の優勝校。こちらも100回を超える大会で初めて、東北地方に深紅の優勝旗を持ち帰った。この2校のように1世紀を経てのドラマは珍しいが、それでも探してみると下馬評を覆しての優勝や、悲願を果たした古豪の校名が目に入る。
優勝旗が初めて北海道へ
東北楽天ゴールデンイーグルス・田中将大投手の母校、駒大苫小牧高校(南北海道)。夏の出場は1966年が初めて。その後は長く地方大会敗戦が続いたが2001、03年と甲子園に出場した。いずれも2回戦までに敗退していたが、2004、5年に連覇を達成した。北海道勢の優勝は、同校のみだ。
夏の甲子園3連覇がかかった2006年は、早稲田実業(西東京)との決勝に。エース・田中投手が「ハンカチ王子」斎藤佑樹投手と投げ合い、延長15回でも決着がつかず再試合となったのは語り草だ。最後は、早実が優勝を勝ち取った。
初出場・初優勝にわいた昭和の夏
「がばい旋風」を巻き起こした佐賀代表・佐賀北高校は、2000年に初出場。この年は初戦で横浜高校(神奈川)に敗れたが、07年に2度目の出場で優勝。公立高校の快進撃として、大きな話題になった。
決勝の相手は、広陵高校(広島)。広陵が優位に試合を進めていたが、8回裏、佐賀北が逆転満塁ホームラン。「奇跡」とも言えそうな試合展開で、5-4で全国制覇を成し遂げた。
昭和の高校野球ファンには懐かしいのが、1976年夏。西東京代表の桜美林高校が、伝説の試合を決勝でみせた。この年、夏の代表としては初出場。スポニチアネックス2022年8月7日付記事によると、同校にはプロ野球の候補者が一人もいなかったという。
決勝の相手は、5度目の出場だったPL学園(大阪)。延長11回の激闘を制して、初出場・初優勝をやってのけた。