「大人のおしゃれ手帖」9月号の「この としにして」で、酒井順子さんが若い女性の「腹見せ」ファッションについて記している。
「いつの時代も若い女性は、どこかしら肌の露出をしたがるものです。私の時代であれば、脚やら胸の谷間やらを露出させる人が、多かった。ハイレグ水着の流行も、脚を露出させたいという欲求が募りすぎて、水着の股部分がどんどん鋭角化したせいだったのかも...」
で、昨今の若者の間で流行っているのが「腹見せ」となる。あえて丈の短いトップスを身につけ、ウエスト周りの肌を見せる着こなしだ。
「私は、『これぞ若者』と思うのでした。脚や胸は、『痛い』という周囲の声さえ無視すれば、大人でも何とか露出は可能です。しかし下腹が充実しがちなお年頃の大人としては、腹の露出がいくら流行っているからといって、自分の腹を出したくはならない」
どうにか平らな腹部をキープしていても、年相応のたるみは隠しにくいのだ。
「若者は様々な行為で自分達と大人の差別化を図っていますが、腹見せはその最たるもの。『ここを見せるのは大人には無理でしょ?』という声が、引き締ったウエストから聞こえてきそうです」
醜悪な罰ゲーム
とはいえ「腹見せ」の実感を確かめたい酒井さんは、自宅で試すことにした。昔ジムで着ていた短めのTシャツを引っ張り出し、鏡の前で着用したそうだ。
「映った姿の醜悪さ...この格好で外に出ろなどと言われたら、罰ゲームでしかないし、と言うよりも見せられる側の方が罰ゲーム気分になりましょう」
冷房による腹の冷えも気になり、早々にミニ丈シャツを脱ぎ捨てた酒井さん。下腹までカバーする「安心丈」のシャツに着替えた。「嗚呼、何と落ち着くことか」。
著者はしかし、若者の腹見せには理解を示す。昔の自分を思い出すからだ。
「若い頃の私は、腹は見せずとも、下尻が見えそうなショートパンツをはいたり、ブラウスの胸ボタンをギリギリまで開けたりしていましたっけ。若さをアピールせずにいられないという、生き物としての本能のようなものが、肌の露出に向かわせていたのです」
ちなみに酒井さんは56歳。腹を見せて歩いている女性たちの母親世代にあたる。東京で生まれ、バブル初期に学生だった自分たちだって見せられるところは見せ、若さをブイブイ言わせていた...という極めて客観的で公平な視点である。
「命短し、腹出せ乙女。腹の露出など、二十代になったらもう憚られる行為なのかもしれないわけで、その年頃にしかできないことはしておきなされ...と、私は腹出し女子達に、心の中で声をかけているのでした」
出したもん勝ち
「大人には、露出できない部位がある」という副題がつく本作。若者のおしゃれトレンドを取り上げつつ、全体としては露出をキーワードにした世代論になっている。
酒井さんは腹見せの心理について、「いつの時代も若い女性は、どこかしら肌の露出をしたがる」「これぞ若者」「大人との差別化」「若さをアピールせずにいられないという、生き物としての本能のようなもの」とみる。内部では処理しきれない、はち切れるような若さが、外に向けてほとばしるというわけだ。
だとすれば、その「本能のようなもの」は男性にもあるのだろう。今ならピアスやタトゥー、私の青春時代 1970年代なら肩まで届くような長髪がそれに当たるのか。自己主張であり、流行であり、どこかに異性への意識が匂う。
女性誌には「真夏の肌見せ大作戦」といった特集が目につく。見せる部位は腹、背中、肩、脚など様々。「出したもん勝ち」「エロカワ」など、挑発的な言葉が飛び込んでくる。
Tシャツに限らず トップスでもボトムでも、通常より短めにカットしたものをクロップド(cropped=切り取られた)丈と呼ぶそうだ。上半身にまとえば胴短脚長に見え、下半身(パンツ)を短い丈にすると細い足首部分が強調され、華奢な印象が得られるという。なるほど、大胆な服装にもそれなりの効果があるわけか。
いずれにせよ、幸か不幸か、私のような中高年は彼女たちの眼中にない。自分の腹の出具合を気にしながら、見て見ぬふりというか、素知らぬ顔をするだけだ。
冨永 格