天然生活9月号の特集「新しい、定番家庭料理」に、作家の宮下奈都さんが随筆を寄せている。生活の軸が子育てから執筆に変わる過程で、食卓はどう変わったのか。
「この夏、娘が二十歳になる。あんなに幼くてあどけなかった子が、ニ十歳だ」
生後間もないその子を含む 3人の子どもたちと食卓を囲む写真がある。上から4歳 2歳 0歳、手がかかる盛りであろう。写真を見た筆者は懐かしさで胸がいっぱいになったが、横から覗き込んだ娘は「うわー、ママ若いね!」と笑ったそうだ。
「たしかに、若かった。二十年前の私は つやつや ふっくらしていて、新しい家族を迎えたよろこびにあふれている。夫も若い...変わらないのは、テーブルの上のごはんくらいだ。そう考えてから、あれっ、と思った。違う。ごはんも変わっている」
卓上に並ぶのは若き日の定番料理だったが、もう作らなくなったものばかり。オムライスもミートローフも、野菜たっぷりのスープも煮物も、子どもが食べやすいよう、かつ栄養バランスを考え、工夫を凝らしていた。
「当時は、家族のために料理をつくることが私のアイデンティティだった。仕事が忙しくて なかなか家で過ごすことのできない夫の健康を支え、これから大きく育っていく子供たちの身体の源をつくる。それが私の大きな役目だと思っていた」
家族の中の自分
宮下さんはそんな20年前を振り返り、こうも書く。
「栄養があって、おいしくて、見栄えもいい料理をつくることで、私は自分の存在意義を確かめたかったんだと思う。懐かしいのは、写真に写っている料理だけではなく、その料理をつくっていた若い私だ。母であり、妻である、家族の中の私。一所懸命だった」
料理本を読み込み、テレビの料理番組は見逃さず、いくつも試しては家族の反応を見て改良を重ねる。日々の手料理こそが、日常における大イベントだった。
「定番と呼べる料理を持てたことで、私は家族を支えたし、自分のことも支えていたのだと思う...たしかに ひとつの しあわせのかたちだったに違いない」
3児の母となった頃から、小説家の仕事が回り始める。夫の都合で知らない街に引っ越した時も、子育てしながら睡眠時間を削って執筆した。身体も壊しかけた。
「ほとんどすべての熱量を注いでいた料理も、試行錯誤の末、少しずつかたちを変えていくことになった。幸い、それで家族から物言いがついたことはない」
宮下さんの「定番」は、時間がなくても、ありふれた食材だけでも、余裕で作れるようなものばかりになったという。帰省してくる3人の子どもたちは「笑ってしまうくらい簡単な料理」を懐かしがり、リクエストしてくれるそうだ。
「家族のかたちが変わるように、しあわせのかたちも変わる。定番だと思い込んでいたものが変わるにつれて、料理も変化することはあたりまえなのかもしれない。思いがけず目にした二十年前の定番料理は、しみじみ いとおしかった」
セピア色の文章
特集「新しい、定番家庭料理」の前文は、大意〈定番の家庭料理も、時代や自身の環境に合わせ進化する。新しい"家庭の味"をご紹介します〉とある。宮下エッセイに続き、「豚の生姜焼き」「肉じゃが」「ポテサラ」「チキン南蛮」などが新たなレシピで並ぶ。
宮下さんは今年53歳。2004年、冒頭に出てくる娘さんを妊娠中に書いた『静かな雨』が認められ、作家になった。つまり定番料理が変遷したこの20年は、小説家の地位を固めていく時期に重なる。子育てに追われる専業主婦から作家へ、人生が一変したのだから食卓の風景が変わるのは自然なことだろう。
料理に「全熱量」を注いだ20年前の暮らしについて、筆者は「たしかに ひとつの しあわせのかたちだったに違いない」と顧みている。漢字で書ける言葉を仮名にすることで、文字は古写真と同じ「セピア色」を帯びる。往時の気持ちを正確に再現できない以上、記憶は自ずと曖昧に、文章も断定を避けつつ柔らかな調子になる。
日々の家庭料理は、ハンバーグやカレーといった一般名詞で呼ばれるものは少ないかもしれない。〈厚揚げとインゲンをササッと煮たやつ〉とか〈モヤシと豚ひき肉を焼肉のたれで炒めたアレ〉とか。中には家族だけが解する暗号めいた呼称もあろう。
老舗の料理屋ならいざしらず、家庭料理の「定番」は移ろうのが当たり前。たとえば四季にひとつずつ、それこそ家族のリクエストで決めるくらいでいい。
冨永 格