「毎日が発見」8月号の「人生を楽しむ経済学」で、森永卓郎さんが「日本人の生活力が落ちている」と警告している。若い世代は自炊から遠ざかり、コンビニ依存の便利な暮らしに慣れ切った私たち。危機への対応能力が社会全体に欠けてきたと。
書き出しは南米コロンビアでの「小型機墜落、子ども4人 40日ぶり生還」のニュースである。吉報は今年6月だった。危険な動植物も多いジャングル。最年長が13歳という4人のサバイバルは世界を驚かせたが、森永さんは「奇跡には理由がある」と説く。彼らは先住民の子で、日ごろからそうした環境で生き抜く能力を磨いていたというのだ。
「普段できていないことは、危機のときにもできない...危機管理の大原則です。だから、避難訓練は重要なのです」
現代人の生活は、自然災害や異常気象、パンデミック、核戦争と、いろんなリスクにさらされているが、私たちはそうした危機を乗り切る力を備えているか。筆者はウクライナ戦争に伴う世界的な物価高を例に引く。
「コンビニのおにぎりやパンも大きく値上がりしました。ところが...値段の変わっていないコメの消費は、むしろ減少しているのです...自分でご飯を炊いて、おにぎりを作る、あるいはパン食を米飯食に変えれば、物価高を避けられるのに...」
慣れ親しんだ近所のコンビニから、より低価格のスーパーに移った人は限られる。ペットボトルのお茶も値上がりしたが、急須でお茶をいれ始めたという話は聞かない。
「日本の消費者は、便利になった生活習慣を危機のなかでも変えようとしなかった」
花農家のコメ作り
筆者はここで、政府が検討する「食料増産命令法」を俎上に載せる。有事の食料不足を想定し、たとえば花農家にコメやイモ作りを命じたり、新たな価格統制や配給制を導入したりするための新法である。
森永さんは食料安保に向き合うこと自体は評価するも、新法の効果には懐疑的である。水田を造るには区画を整え、土を入れ替え、農業用水を確保する必要がある。その年から収穫できるわけでもなく、花農家がコメ作りに転じるのは難しいのだ。
「そもそも耕作面積が大きく減っているので、国民全体の胃袋を満たすだけのコメを収穫することは、とてもできないでしょう」
より簡単に見えるイモにしても、独自の手順やコツが要るのは同じこと。家庭菜園の転作のようにはいかないのだ。森永さんは、有事になってから食料を増産するという考え方がすでに間違っている、という。
「普段から国民が食べるのに十分な量を作っておくべきです。余った食料は、輸出するか家畜に与えるようにする。それが、欧米の実践している食料安全保障策です」
ことは食料確保だけではない。調理をする力、リフォーム(日曜大工)をする力、裁縫をする力...「つい最近まで多くの日本人が持っていた当たり前の生活力が、いま急速に失われている」というのが森永さんの懸念だ。
「クリックするだけで、何でも自宅に届く便利な時代になったのですから、それを利用しない手はありません。ただ、万が一に備えて、自分自身の力で生き残っていける力を普段から培っておく必要がある...便利な時代だからこそ、不便の体験が大切になるのです」
余裕があるうちに
森永さんによると、主要国の食料自給率(カロリーベース)は、フランス(131%)や米国(121%)は輸出超過、日本はドイツ(84%)や英国(70%)より心細い38%と低迷する。何かあれば日本人は真っ先に飢える状況にあり、政府の危機意識もそこに根差す。
有事立法、価格統制に配給制といえば暗く重たいが、筆者が説く「生活力の身に付け方」はあくまで明るく楽しい。曰く、ベランダ菜園、キャンプでのバーベキュー、体験農業や釣り。非常用の太陽光発電パネル、ペットボトルに取り付ける濾過機などは、平時の野外レジャー全般に活用できるという。
楽しみながら生活力=危機への対応力が自然と身に付くならば、それに越したことはない。大切なのは「普段からの備え」である。同じことが政府や国レベルでもいえる。食料が足りないから作る、では間に合いそうにない。
経済アナリストが本職の森永さんだが、ミニカーや空き缶など、ちまちました物の収蔵家としても知られる。ジャングルや有事では役立たないにしても、そうした「遊び」が癒しとして自他を助けることもあろう。何事も余裕があるうちが華だ。
便利で快適な都市生活。コンビニにおにぎりが並んでいる間に、不便と不快からの「避難訓練」をしておきたい。
冨永 格