『人間の証明』『悪魔の飽食』森村誠一 西村京太郎、内田康夫との共通点

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   『人間の証明』『悪魔の飽食』など多数のベストセラーを生んだ作家の森村誠一さんが、2023年7月24日に亡くなった。90歳だった。

   森村さんは、人気ミステリー作家だった西村京太郎さん、内田康夫さんと同じ、「昭和ヒトケタ世代」。それぞれの人生には共通点があった。

  • 昭和から平成の時代を駆け抜けた3人の作家
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「東條のバカヤロー」

   西村さんは1930(昭和5)年、森村さんは33(同8)年、内田さんは34(同9)年の生まれだ。3人とも幼少年時代に戦争に翻弄されていた。

   最年長の西村さんは、戦争末期の1945(昭和20)年4月1日、東八王子にあった東京陸軍幼年学校に入学した。満年齢で14歳。同期生は360人。短期間だったが、徹底的な軍人教育を受けた。

   「陸幼」は、陸軍士官学校(陸士)、陸軍大学校(陸大)へと進む陸軍の超エリートコースの入り口。大本営参謀や大将の道が開ける。

   しかし、戦争は長くは続かなかった。本土空襲が激しくなり、8月2日にはB29編隊が陸幼を襲って焼夷弾をばらまいた。陸幼校舎は炎上、生徒7人、教師3人が犠牲になった。

   翌日、校庭に材木を集めてやぐらを組み、遺体を焼いた。前日までは戦争に負けると思わず、本土決戦、早く来いと勇んでいた西村少年――さすがに、元気が出なかった。

   ほどなく広島、長崎に原爆が落ち、8月15日を迎える。何か叫びたくなって、「東條のバカヤロー」「あいつのせいで、負けたんだ!」と叫んでいた。(自伝『十五歳の戦争――陸軍幼年学校「最後の生徒」』より)

「この場面を本にしたい」

   森村さんは、同じころ埼玉県の熊谷市で暮らしていた。終戦前日の8月14日、最後の空襲が熊谷市を襲った。当時12歳。日刊スポーツの取材(2015年)にその時の体験を語っている。

「川は、底が見えないほどの死屍(しし)累々なんです。みんな煙で窒息死しているから、生きているように見えるんです。あの時、必ず作家になって、この場面を本にしたいと思いました」。

   内田康夫さんの父は開業医。東京の北区に自宅と、併設の診療所があった。20年4月13日、空襲のサイレンが鳴り響き、防空壕へ。あっというまに一帯は火の海になった。家は全焼し、診療器具もすべて燃えてしまった。内田さんは週刊文春(2011年4月14日号)で語っている。

「(焼けた自宅に)真っ白な灰が積もって、一面が焼け野原になっていた。そこに佇んでいた父の虚無的な笑顔が忘れられません」
「日本は勝つと疑わなかったし、大きくなったら兵隊さんになるものだと信じていたのに、負けた途端にアメリカが偉くて日本は悪いということになって。すべての価値観がひっくり返ったわけです。だから、まず世の中や人間を信用しない」

回り道してベストセラー

   戦時中の強烈な体験を経て戦後、3人はそれぞれの人生を歩み始める。すぐに作家になれたわけではなかった。

   西村さんは、子どものころから推理小説を愛読していた。戦後、いったん人事院に就職したが、29歳で退職。松本清張の『点と線』を読んで、このくらいなら自分でも書けると思って作家を志した。

   ところが、あらゆる懸賞小説に応募したものの、落選が続いた。長い下積み時代は、パン工場の運転手、競馬場の警備員や生命保険の勧誘員、私立探偵などをしていた。78年の『寝台特急殺人事件』の大ヒットで、ようやく人気作家に仲間入りする。

   森村さんは大学卒業後、しばらくホテルに勤務。69年に『高層の死角』で江戸川乱歩賞、73年に『腐蝕(ふしょく)の構造』で日本推理作家協会賞。76年の『人間の証明』が爆発的ヒットとなり、超売れっ子となった。

   内田さんは戦後、大学に入学したが、中退。しばらく、「記憶から消したい」ような「惨憺たる」生活が続いた。

   やがてテレビやCM制作の仕事を経て40代半ば過ぎから推理小説も手掛け始める。82年の『後鳥羽伝説殺人事件』で、警察幹部を兄に持つルポライター、浅見光彦を主人公として初登場させたことが成功。これが100話以上も続く大人気シリーズとなる。

   3人とも、大きな挫折や回り道を経て、超人気作家となった。西村さんは著書500作以上、森村さんも400冊以上、内田さんも200冊近いといわれる。量産家が多いミステリー作家の中でも際立った存在だった。しかも作品は、映画やテレビシリーズで大ヒットが続いた。

「日本の良識はまだ健在だ」

   さらに3人の大きな共通点は、自身の戦争体験にこだわったことだ。

   森村さんは1981年、ノンフィクション「悪魔の飽食」を発表。闇に包まれていた旧日本軍の関東軍防疫給水部(731部隊)の実態に迫り、社会に衝撃を与えた。

   西村さんはトレインミステリーの大ヒットで、エンタメ色の強い作家となったが、2017年に自伝『十五歳の戦争――陸軍幼年学校「最後の生徒」』を刊行、戦争への思いを書き残した。「特攻」「玉砕」作戦や、東條英機の「戦時訓」を痛烈に批判している。

   内田さんは、折々の社会問題や政治問題について、しばしば全国紙などに投書し、自身の思いを訴えていたことで知られる。

   2015年6月9日には、毎日新聞「みんなの広場」に投書している。「押しつけではなかった憲法」という見出しがついている。衆院の憲法審査会で憲法学者3人が「安保法制は憲法違反」だと表明したことについて、「日本の良識はまだ健在だ」と胸をなで下ろし、改憲論者が「押しつけ憲法だから」ということを改正理由に挙げることに疑問を投げかける。

   「むしろ、帝国主義と軍国主義のもと、一方向しか見えていなかった国民に、広い視野と新たな価値観を与えてくれた贈り物として、大切にしていきたいものである」と記していた。

   内田さんは2018年に83歳で、西村さんは22年に91歳で亡くなった。森村さんも鬼籍に入ったが、それぞれに重い戦争体験を背負い、昭和から平成の時代を駆け抜けた3人の作品は、これからも読み続けられるに違いない。

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