「この場面を本にしたい」
森村さんは、同じころ埼玉県の熊谷市で暮らしていた。終戦前日の8月14日、最後の空襲が熊谷市を襲った。当時12歳。日刊スポーツの取材(2015年)にその時の体験を語っている。
「川は、底が見えないほどの死屍(しし)累々なんです。みんな煙で窒息死しているから、生きているように見えるんです。あの時、必ず作家になって、この場面を本にしたいと思いました」。
内田康夫さんの父は開業医。東京の北区に自宅と、併設の診療所があった。20年4月13日、空襲のサイレンが鳴り響き、防空壕へ。あっというまに一帯は火の海になった。家は全焼し、診療器具もすべて燃えてしまった。内田さんは週刊文春(2011年4月14日号)で語っている。
「(焼けた自宅に)真っ白な灰が積もって、一面が焼け野原になっていた。そこに佇んでいた父の虚無的な笑顔が忘れられません」
「日本は勝つと疑わなかったし、大きくなったら兵隊さんになるものだと信じていたのに、負けた途端にアメリカが偉くて日本は悪いということになって。すべての価値観がひっくり返ったわけです。だから、まず世の中や人間を信用しない」