季刊誌「趣味の文具箱」7月号の「文具箱の扉」で、同誌統括プロデューサー(前編集長)の清水茂樹さんが詩的な文章を披露している。文具愛好家の専門誌、略称「趣味文」。清水さんは編集長時代からこの巻末コラムを書いてきた。
分野を問わず、趣味人の世界は奥が深い。同誌も購読者が集う「趣味文CLUB」を中心に、多彩な交流機会を用意している。本作に登場する「ボトルレター」のサービスもその一つ。会報添付の封筒に自筆の手紙を入れて投函すれば、大海原を漂う瓶入りレターのように、事務局を経由して他の会員に届く仕組み。編集部員の手紙も交じる。
「夏がまた来る。ひとり海に向かう。粒々がきれいに揃った砂浜は、真っ白い大きな画用紙のよう...ひと差し指を立てて落書きをしてみる。あのひとへの尽きぬ思い...クソ野郎に向けた悪口...なんでもいい。潮が満ちたら波がきれいに消してくれる」
文学的な冒頭だ。指先で砂に書けば、不思議な懐かしさが湧いて来るという。
「ペンという道具を介していないので、頭の中に浮かんだ文字とかイメージが、自然にあふれ出てくる感覚...こんなふうに指先からインクが出てきたら楽しいだろうな」
清水さんによれば、「書く」の語源は「掻く」。紙が登場するまで、人は亀の甲羅やら石やらをより硬いもので引っ掻き、文字を残してきた。
「砂を掘って書いていると無心になるのは、数千年前まで引っ搔いて文字を必死に記していたヒトのDNAがどこかに残っているからだろう」
筆欲を満たす
ここで話は、先述の「ボトルレター」に移る。清水さんは編集長を退いた後、読者組織の責任者として このサービスを取り仕切っている。
「ボトルレターの趣意は ヒトが本来もっている筆欲を満たすこと。そして『書く=楽しい』をあらためてみんなで共有することだ」
海に流す本物のボトルレターには、見つけた人が返信できるよう 住所氏名を添えることが多い。これに対し、同誌のサービスは無記名が基本。確実なのは文具ファンから別の文具ファンに届くことだけで、匿名性は守られる。
「会員であること以外、誰かはわからない...でも肉筆は書き手の個性をありありと映し出すので、届いた手紙は遠い旅先での偶然の出会いのような、読み終わると当てもなく『じゃあね』と言って別れていくような、センチメンタルな気分になる」
実用にこだわりそうな文具マニアたちだが、一期一会を大切にするロマンチストは多いようだ。清水コラムも結びは冒頭のトーンに戻り、ほとんどポエムになる。
「次のボトルレターには、あの日に言い出せなかったあの言葉を書いてみようかな。砂浜で指を立て、戯れている気分で。皆さんも、愛用のペンと紙で、この夏を楽しんで」
オマケつきも
筆記用具にこだわる人は多い。文筆のプロだけでなく、万年筆の書き味だったり、紙の滑りだったり、インクの微妙な色合いだったり、力点の置き方はそれぞれ。作中にも「ぬらぬらもいいけれど 俺の万年筆には多少のひっかかりがほしい」「鉛筆は がさがさの紙で芯先を削って書く感触が好き」といったニッチな嗜好が例示されている。
この雑誌が創刊されたのは2004年。多くの文章が「書く」ものから「打つ」ものに変わり、実用品の筆記具が趣味の対象になっていく時代と併走してきた。趣味文CLUBなどの取り組みは、限られた読者層をがっちり組織化する試みだ。
「ボトルレター」はそんな読者同士をつなげるサービス。お互い文具好きだけに話が合うのはもちろん、筆記具や字体、添えるイラストなどにも凝る人が多い。最近では お勧めの小物をオマケで付ける読者もいるそうだ。
瓶入りのボトルレター(ボトルメール)は、世界中で古くから知られた伝達手段。創作物では、孤島に漂着した人が一縷の望みを空き瓶に託す...といった設定が多い。アガサ・クリスティーの代表作「そして誰もいなくなった」では、犯人が海に投げ込んだ瓶入りの告白文が漁船の網にかかり、すべての真相が明らかになる。
拾われた時から 新たな物語が始まるボトルレター。もちろん現実はそれほどドラマチックではなく、多くの手紙は人の目に触れることなく 力尽きる。
未知なる不安や期待はそのままに、誰かに必ず、それも同好の士に読んでもらえる「安心ボトル」があってもいい。
冨永 格