婦人公論6月号の「スーダラ外伝」で、ジェーン・スーさんが冷蔵庫の中身をめぐるパートナーとのバトルを記している。賞味期限切れの品を中心に、あれやこれやの収納物を無断で整理されてしまったというのだ。
「久々に怒髪天を衝いた。付き合い始めて日の浅いパートナーが、我が家の冷蔵庫をぜんぶ勝手に片づけたからだ」
スーさんのお相手は、ずっと昔に付き合っていて先ごろ復縁した男性である。
「我々はどちらもいい年をした中年だ...ここからは穏やかに寄り添っていくのが順当だろう。にもかかわらず、付き合いたての若者カップルが起こす揉めごとランキング第3位みたいなことをやるとは思いもよらなかった」
相手が〈冷蔵庫の中をきれいにしておいたよ〉と明かしたのは焼鳥屋でのこと。得意げな調子からすると、褒めてもらえると思っていた風だった。
「私は絶句した。そんな越権行為を平気でやる人だとは知らなかった...過去の記憶を辿ると、この男はやる時は良くも悪くも徹底的にやる。興が乗り、過剰にやりすぎる癖もある。ということは、今頃うちの冷蔵庫は空っぽだ」
焼鳥の串で腕でも突いてやろうかという衝動を抑えつつ スーさんが問い詰めると、彼は〈賞味期限切れはすべて捨てた〉と白状した。
ある種の泥棒
「柚子胡椒や七味唐辛子までやられたか。眉間に皺を寄せたブルドッグのような私に、『食べかけばかリだったし、一番古いのは2017年モノだった』と向こうは抵抗を試みる...どれだけ食べかけでも、古くても、私の自由だよ」
筆者によれば、捨ててもいいのは「残り半分以下で固まりつつあった生クリームと しなびたリンゴくらい」だった。「恐る恐る尋ねてみれば、引き出しやら棚やらの食品も賞味期限切れはすべて捨てたという。ある種の泥棒だ!」...実はスーさん自身、若い頃に良かれと思って他人の冷蔵庫を整理整頓した経験があるそうだ。
「あの時は、なぜ苦笑いされたかわからなかった。今ならわかる。相手の領域に踏み込み勝手に価値を決め、未確認のまま取捨選択するのは、相手の尊厳を踏みにじる蛮行なのだ」
確かに、長らく同居する家族ならともかく、復縁間もない彼と筆者の間には、まだ踏み越えてはならない一線があるのだろう。
彼はスーさんの剣幕にたじろいだが、それ以上の口論はなかったようだ。
「ここまで感情を露わにしても動じない相手に感謝もした。帰宅して冷蔵庫や戸棚を開けると、そこには私には作れない秩序があった。捨てられたくなかったものを思い出さないうちにと、私はあわてて扉を閉めた」
個人情報の宝庫
本作のタイトルは「私と相手の境界線」である。親しき仲にも礼儀あり、ということだろうか。パートナーの行動の呼び水となったのは、「冷蔵庫の中がいっぱいだ」というスーさんの独り言だったらしい。当然、善意からの行動である。
そこは筆者もわかっているので、最終段落では矛を収めている。とりわけ「あわてて扉を閉めた」の結語は怒りを中和し、穏やかな読後感を残す。焼鳥屋で「口の中のものを言葉以外すべて飲み込んでから、『なぜそんなことをしたの?』と私は尋ねた」といった独自のレトリックも、彼女の愛読者を喜ばせるはずだ。
そうしたテクニカルな点とは別に、〈他人の冷蔵庫を勝手に開けたり いじったりしないで〉という問題提起は、「プライベートな領域」について読者に考えさせる。
冷蔵庫の中は極めて私的な空間であり、どんなものがどんな状態で収蔵されているかは究極の個人情報といえよう。他人には不合理に見えても、所有者なりの「使い勝手」というものがある。常備菜、飲み物のストック、調味料の品ぞろえやブランドなど、見る人が見れば食生活の概ねが丸裸になる。
スーさんの場合、相手は気心の知れたパートナーだから、恥ずかしいとか隠したいというレベルの憤りではないだろう。怒りの源はピンポイントで、所有者の許可を得ないまま食品を処分したことに尽きる。その果てに「私には作れない秩序」が実現したわけだから、ある意味、結果オーライなのではないか。
「ある種の泥棒」「尊厳を踏みにじる蛮行」といった激しい言葉とは裏腹に、私は怒りの迷彩を施した「のろけ」として楽しく読んだ。
冨永 格