揺らぐ「聖徳太子像」
日進月歩で研究が進み、過去の常識が変わっていく社会科の教科書。出版界では、いずれも、かなり前から話題になっていた。
朝日新聞出版は2013年、「週刊 新発見!日本の歴史」(全50巻)を創刊した。この時、同社が発行する「週刊朝日」は、「あなたの常識は間違っている!(前編)『日本の歴史』の こんなにある"新発見!"」という記事を掲載している。
そこではすでに、「鎌倉幕府の成立は『イイクニつくろう』の1192年ではないし、蘇我入鹿が暗殺された事件は『大化の改新』とは呼ばれない」と書かれている。
同記事によると、聖徳太子についての「常識」も揺らいでいる。
太子は、憲法十七条や冠位十二階の制定、遣隋使の派遣など、7世紀に革新的な政治を行った重要人物とされてきたが、今や、実在が疑われるほど影の薄い人物になっているという。
太子に対する高い評価は『日本書紀』の記述に基づく。しかし、『日本書紀』は、8世紀に律令国家や天皇制の正統性を示すために編さんされた書物であり、内容の信ぴょう性を疑う研究者が多くなっているという。
そうした研究潮流の変化を反映して、評価も変わった。
今の定説では、厩戸王という皇子が、推古天皇の即位直後から政治を補佐したが、皇子は蘇我馬子とともに推古天皇を支えた有力王族の一人にすぎない。憲法制定など様々な政策は政権全体で執り行った。
ところが、死後、彼は「聖徳太子」として信仰の対象になり、聖人として過大評価されることになった・・・。多数の人の業績が、一人に集約された可能性が高い、というわけだ。
現在の教科書では、「厩戸王(聖徳太子)」などと併記されることが多くなっている。かつて1万円札の顔にもなった肖像画も、本人と断定する根拠がないため、「伝聖徳太子像」と注付きで掲載されている、という。