サンデー毎日(4月16日号)の「みんなのウェルビーイング」で、慶應義塾大学 大学院教授の前野隆司さんが、明治維新や敗戦時に匹敵する「オールリセット」なしに 日本の再浮上は難しい、と力説している。
ウェルビーイング(well-being)とは、一般的に「心身良好で健全な状態」のこと。企業経営では福利厚生より広い概念として、従業員の幸福度や、企業活動の健全性を語る言葉として用いられる。前野さんは その分野の第一人者である。
今作の主体は、多方面で活躍する東大名誉教授 月尾嘉男さんとの問答だ。テーマは、日本の経済や社会はなぜこんなに没落したのか...月尾さんの答えは明快だった。
〈日本人が優れていると過信したのが間違いで、ある国が栄えると 次は隣が栄えるという経験則に従っているだけ〉だと。
なるほど、七つの海を支配し 18世紀に産業革命を起こした英国が衰えた後、20世紀は大西洋を飛び越えて米国の時代になった。さらには、太平洋を隔てた日本が焼け跡から台頭したのに続き、韓国、中国と栄える国は移ろう。
「国も企業も 栄えた後は制度疲労し 大企業病になり 縦割りになり 前例踏襲になり 既得権益がはびこり ルールとマニュアルだらけになり 生産性が下がる。隣の新興国は制度の疲労などなく 隣の国を真似してちょっと新しさを付け加えればいいのだから、そりゃあ栄えるわけです」
新陳代謝を信じて
続く話題は、いわゆる失われた30年を乗り越え 日本が再浮上する可能性だ。
〈ないです〉と、にべもなかった月尾先生だが、前野さんが「明治維新や敗戦のようなカタストロフィックな変化で制度疲労をオールクリアすれば、再浮上の可能性はありますよね」と食い下がると、〈それなら、ありえるでしょうね〉と会話がかみ合った。
「日本人は勤勉で優れている。日本には優れた文化がある。日本は特別な国だ。そう思いたい気持ちもわかりますが、考えてみれば、他の国にも優れた面はありますし、どの国だって個性があって特別です。ダイバーシティー&インクルージョン(多様性と包含=冨永注)ですよね」
思い上がらず「神風」もアテにせず、明治維新における身分制解体、敗戦による民主主義導入や財閥解体に匹敵する、国家ぐるみのオールリセット(白紙化と再始動)に挑むことが必要らしい。しかし、大きな犠牲を伴う壊滅的な出直し以外に道はないのか。筆者はもう一つの可能性として、アントレプレナーシップ(起業家精神)と市場原理に触れる。
「大企業が制度疲労していて魅力がないなら、若い人は...起業するか、ベンチャーに入るか、元気な中小企業に入ればいい。すでに勤めている人も、転職したり起業したりすればいい。流動化の促進です」
古いものは置き換えられ、まずは人材の流動化を通じて産業界が生まれ変わる。それが、日本に新たな夜明けを呼ぶかもしれない。
「政治家も経済界も、この新陳代謝を邪魔しないでほしい。古いものを守ると それだけ新しくなるのが遅れる...このやり方だと、市場原理による淘汰圧のない官僚機構や学校教育の変革は遅れますけどね。しかし、どこかが変われば他も変わる」
減るばかりの選択肢
前野さんは最近、企業を対象とした「ウェルビーイングアワード 2023」のシンポジウムで、「本来はいいことをしたいという思いが(企業には)あって、それが企業ブランディングになる」と語っている。企業活動が社会の役に立ち、従業員も生き生きと働ける。株主や顧客、徴税する国もハッピー...そんな状態こそ ひとつの理想には違いない。
しかし、世界には別の行動原理を信奉する企業もたくさんあって、というかそっちの方が多数派で、グローバルな競争では「優等生」が割を食う現実がある。ならば誠実なビジネスを消費者も応援しよう、という潮流が生まれている。
小さくても優れた企業に人材が集まるようになれば、長い目で見て日本再生にもプラスに働く。これが前野さんの考え方だろう。
戦争や大災害による破滅的な出直しか、新陳代謝による漸進的な内部変革か。二つから選ぶというより、自ら選べるのは後者しかない。しかも、競争力の衰退、少子高齢化、福祉や医療の負担増など、変革のマイナスとなる要素がどんどん増えており、選択肢は減るばかり。日本の残り時間は、それほどない。
冨永 格