部活はサボる
坂本さんはこのほか多数の著名人と共著を出している。音楽家としては異例だ。
「音楽機械論」(思想家の吉本隆明さんとの共著、1986年)。
「友よ、また逢おう」 (作家の村上龍さんとの共著、1992年)
「少年とアフリカ 音楽と物語、いのちと暴力をめぐる対話」(作家の天童荒太さんとの共著、2001年)
「反定義 新たな想像力へ」(作家の辺見庸さんとの共著、2002年)
「縄文聖地巡礼」(文化人類学者の中沢新一さんとの共著、2010年)
『脱原発社会を創る30人の提言』(作家の池澤夏樹さん、ジャーナリストの池上彰さんほか共著、2011年)
『愛国者の憂鬱』(新右翼活動家の鈴木邦男さんとの対談、2014年)
これらのラインアップを見ると、坂本さんが音楽以外のことにも幅広く関心を持ち、知識を深めようとしていたことがわかる。単なる「専門バカ」の「教授」ではない。
ただし本人は、自著『音楽は自由にする』の中で、自分のことを再三、「不遜な小僧」だったと振り返っている。
同じことは、中学・高校時代からの友人で、安倍内閣の官房長官も務めた塩崎恭久さんがFRIDAYデジタルで語っている。それによると、中学でブラスバンド部の部長だった塩崎さんは、部活をサボりがちな一学年下の大柄な少年に手を焼いた。「ちゃんと来いよ」と釘を刺すと、愛想笑いをしながら頷くもまた部活をサボった。それでいて発表日にはしっかり音を合わせてきた後輩が不思議でならなかった、という。
「その時は坂本君が芸大の先生からピアノと作曲を習っていると知らなかったし、もう大人の身体をしていたので顧問と相談し、金管楽器のバス・チューバを割り振った。部長の立場からすると、生意気で憎たらしい後輩でした(苦笑)」と思い出を語っている。