週刊現代(3月4日号)の「それがどうした...男たちの流儀」で、伊集院静さんが若者の投資熱や 学校での「投資教育」に苦言を呈している。理由はシンプル、若いうちからラクして儲けようとしてはいけない、というわけだ。
書き出しは、他誌で10年以上続ける「悩み相談」から。つい最近、80代の男性から高校生の孫娘のことで相談があったという。正月にお年玉を渡したら〈投資に回す〉と言われたと。祖父は苦労続きの若き日を顧みながら、金儲けに熱心な孫を嘆いていた。
「私は、断然、孫娘の考えが間違っているし、今日の世間の考え、投資をすることが当たり前だという風潮は間違っていると言った」
聞けば、孫は家庭科の授業で投資をするよう教えられたらしい。
「私は勿論、『そんな教育をする学校はアホだ』と返答した...投資は 金だけを出して利益をあげようという人間のさもしい根性がそうさせているだけである。十歳代の女の子がやって儲かるわけがないし、第一リスクをともなうことを根っから考えていない」
筆者が、儲け話に飛びつく若者に概して厳しいのは、「アメリカに右へ倣えの経済の考えが、日本にも横行しているから」と考えるゆえである。
「今の日本人の若者は、ラクして生きる方法を四六時中考えているアホであふれている。そんなことで成功したら、まともな人生を歩けるわけがない...ラクして生きる方法は何ひとつない」
運命の厄介さ
上り坂と下り坂、向かい風と追い風。どちらか選べと言われれば迷わず前者、というのが伊集院さんの流儀であり、美学らしい。少なくとも人生前半はそうだった。
「若い人がラクして儲けたり、生きて行こうとするのは、人間という生きもののどうしようもない一面である...投資は己一人が、他人の手、汗を借りて、ラクをしようとする考えが、根にある...金で手に入るものなぞ、たいしたものではないはずだ」
こうして読んでくると、成人の日や入社式(4月1日)の朝、伊集院さんが若者へのエールを書き下ろす新聞広告(サントリー)を思い出す。たいていは、失敗を恐れず、何事にも正面からぶつかれ、そうすれば必ず道は開ける、とりあえず君の未来に乾杯...といった趣旨のメッセージだったと記憶する。
「若い時に成功してラクな暮らしをしている人もたしかにいるが、そんな輩の生涯などツマラナイし、クダラナイのは目に見えている」
筆者は、反論に先回りして 若者たちの尻をもうひとつ叩く。
「では苦労した人が必ず幸運を得るかと言えば、そんなことはない。ここに人生の不平等と運命の厄介さがある。しかしそれでも、ラクしたい、とそれしか発想がない者は間違いなく、崩れて行く」
そして「今週は少し厳しいことばかりを書き連ねているが...」と、こう結ぶ。
「ラクしたい! 金が欲しい! という願いは、人間の中で、もっとも品性に欠けている者の発想であることは間違いない。品性があれば、ラクもできるか? 決してそんなことはない...それでも品性は失ってはならないのである」