第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で、日本代表「侍ジャパン」は中国、韓国に連勝し、好スタートを切った。2023年3月11日はチェコと対戦する。栗山英樹監督は、11日の先発は佐々木朗希投手と明言した。
佐々木投手は岩手県陸前高田市出身。小学3年生だった2011年3月11日、東日本大震災で津波を経験し、父親と祖父母を亡くしている。その後も地元の岩手県で野球に取り組み続けた佐々木投手。震災から12年を迎える日、世界の舞台へ羽ばたくことになりそうだ。
グラウンド確保も困難だった
2019年6月27日付サンスポ記事によると、被災した佐々木投手は陸前高田市から隣接する大船渡市に移住。小学校4年時に地元の「猪川野球クラブ」に加入した。
震災後、多くのグラウンドには仮設住宅が立ち並び、練習場所の確保もままならなかった。河川敷や原っぱでボールを追った。たまにグラウンドを借りられたときには、徒歩40~50分の距離でも歩いていき、野球に励んだという。
19年7月16日付NEWSポストセブンによると、中学は大船渡第一中に進学。軟式野球部に所属するも2年時には疲労骨折を理由に夏の大会(全国中学校体育大会)の出場を見送ることになるなど、けがやリハビリに泣かされた。
高校は地元の県立大船渡高校。スポーツ報知2018年12月8日記事によると、強豪校ではなく地元公立校に進学したのには理由がある。プレーしていた大船渡一中や「オール気仙」のチームメートから、「みんなで大船渡に行こう」との声が上がったからだ
この記事で、当時高2の佐々木投手は「地震で大変な思いをした仲間と頑張ることに意味があると思うし、地元に恩返しもしたい。地元を盛り上げたいという気持ちもあります」と答えていた。
地元ではパブリックビューイング
千葉ロッテマリーンズの主力投手へと成長を続けていた2022年3月11日、NHKで、震災を振り返って心境を語った。「(被災から)11年たっても、つらさや悲しみは消えない」。それでも、これまで自身を支えた人々に感謝しているという。「試合でたくさん投げて、よいプレーを一つでも多く見せられるように頑張って、東北の人たちに喜んでもらえるようにしたい」と意気込んだ。
それから約1か月後の4月10日。佐々木投手はオリックス・バファローズとの試合で、史上最年少での完全試合達成を記録。同日付日刊スポーツ(電子版)は、試合をテレビで観戦した陸前高田市の戸羽太市長(当時)が「もう、涙出ましたよ」と、地元関係者の歓喜の声を伝えている。
岩手県でまっすぐに野球を続けてきた佐々木投手を、地元民は愛し続けている。大船渡市は2023年3月7日、佐々木投手のWBC登板が有力視されている3月11日に市民向けの公共施設でパブリックビューイングを行うと発表した。
来場者には応援用のスティックバルーンを配布し、佐々木投手や日本代表へエールを送る。会場は2か所を予定している。「大船渡市民文化会館」と、陸前高田市の「陸前高田市コミュニティホール」だ。ふるさとでの応援のなか、どんなマウンドさばきを見せてくれるだろうか。