出典は「校正の神様」?
と、ここまでデジコレだけで追うことができた。
あとは国会図書館に直接出かけよう。新聞データベースを引くと、上にもある「東京朝日新聞」1930年(昭和5年)3月18日付の朝刊に掲載された、神代種亮「ヨーロッパ語の音訳」という一文にたどり着いた。
「こゝに一例として、ドイツの大詩人Goatheの音訳を挙げて見よう。(中略)明治十二年に(中略)その名が紹介せられてから今日までの五十年の間に、細かに数へれば二十九種の音訳があるといふならば、驚かぬ人は有るまいかと思ふ。(中略)『ギヨーテとはおれのことかとゲーテいひ』と皮肉つた斎藤緑雨に、この表を見せたならば、何といふであらう」
記事は、ゲーテの日本語表記を調査した先駆として以前から知られているが、「ギヨーテとは~」の川柳についても、今回の調査ではこれより古い用例を確認できなかった。さらに内容からして、そのほかの古い用例の多くが、この記事を直接・間接に参照しているらしいことも考えると、少なくとも例の川柳を世間に広めた起点は、この記事の可能性が高い。
筆者の神代種亮(1883~1935)は、明治の文学・文化に通じた在野の研究家で、文学全集の編纂や作品の校正に携わり、「校正の神様」と呼ばれた人だ。この「ゲーテ」の表記も、神代はその初出年や実際に使った文学者など含め、丹念にまとめている(この表はデジコレでも、『国語問題のしるべ 第2』所収の「ゲーテ百面相」で閲覧できる)。
そんな「神様」が書いているのだから、「ギヨーテとは~」の川柳が斎藤緑雨だというのには、相当の根拠があるのではないか。それが今回発見できなかった緑雨自身の文章なのか、それとも神代が直接・間接に伝え聞いたものなのかは、残念ながらまだわからないが......。
というわけで、デジコレ調査では「『ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い』は、斎藤緑雨・作だという通説が『やや』強まった」という微妙な結論となった。
とはいえ、デジコレなしでこれを調べようとした場合、特に新聞記事以外の初期用例については、おそらく外来語表記などについての文献を片っ端から探して、ようやく一つ当たりが引けたかどうか。複数の用例に当たれたからこそ、参照関係の推測も成り立ったわけである。
この記事の結論としては、デジコレの威力、やはり絶大です。
(執筆に当たり、東京ゲーテ記念館に周辺資料などのご教示をいただきました。この場を借りて御礼申し上げます)
(竹内 翔)
(追記)この記事の公開後、はてなブックマークでmachida77さんから、
「同じように緑雨が作ったとされる『チョピンとは俺がことかとショパンいひ』もそこそこ古く、どちらが先行しているのか気になる」
とのコメントがあった。
確かにショパン(Chopin)の読みをネタにした「チョピン(チヨピン)とは~」の川柳も、戦前から確認できる。ただ、
「後にこれ(=「ギョエテとは~」の川柳)が改作『チョピンとは俺のことかとショパン言ひ』も出来た」(『日本外来語の研究 増補』(1944年))
にあるように、「ギョエテとは~」を元にしたものだと思い込んでいた。
ところが調べ直すと、「チョピンとは~」が先の可能性も......。
もう一度デジコレで「チヨピンとは~」の形で調べてみると(デジコレは漢字などの表記揺れには強いが、小書きは拾ってくれないことがある)、神代の朝日記事より14年さかのぼる1916年、緑雨と親しかった文学者・内田魯庵の回想記『きのうけふ』(改稿版の『思い出す人々』で知られる)に下記の一文があった。
「又誰かの論文中に"Chopin"をチヨピンと書いてあつたので、『チヨピンとはおれが事かとシヨパン云ひ』といふ川柳が出来た。此作者は緑雨であつたか萬年博士(緑雨の旧友で国語学者・上田萬年)であつたか忘れて了つた」
筆者の魯庵は、ハガキで緑雨から川柳を受け取ることがあったという。作者はあやふやだが、エピソードは具体的で説得力がある(時期は1890年代半ば~後半ごろか)。
とすると、(1)緑雨(またはその周辺)に類似作として「ギヨーテとは~」の川柳もあった、という可能性に加え、(2)神代が「チョピンとは~」の川柳を「ギヨーテとは~」と記憶違いして朝日記事に掲載した(3)誰かが「チョピンとは~」を「ギヨーテとは~」ともじりそれを神代が緑雨作と思いこんだ、という線も出てくる。
「ギョエテとは~」の川柳を世に広めたのが神代、という今回の記事の趣旨は変わらないが、(2)(3)のように緑雨作ではない可能性も。
デジコレのおかげで、謎はいっそう深まる......。