オレンジページ(2月17日号)の「白央篤司のマイペース自炊日記」最終回で、フードライターの白央(はくおう)さんが自炊力の効用について書いている。
筆者は同居して7年になる「ツレ」と家事を分担し、もっぱら本職にも関わる炊事全般、そして猫2匹の世話を任されている。連載では、自分が作り ツレと二人で食べた料理を紹介してきたが、最終回はこれまでにない展開となった。
「起きたら寒気がして、関節が痛む。イヤな予感。体温を測れば38度5分、検査を受けたらコロナ陽性だった。幸いなことに重症化せず解熱剤もまあまあ効いたので、のどの激しい痛みとふらつき以外は悩まされなかったけれど、やっぱり不安だったなあ」
1月下旬の話らしい。問題は、白央さんの本職ともいえる「自炊」が途切れたことだ。熱発して2日間は息苦しく、肺炎に進行する不安に苛まれた。3日目の朝、身体がややスッキリしたのを境にゆっくり快方に向かったが、炊事は同居人の出番となった。
食べなきゃウイルスと闘えない。病中も食欲が衰えない白央さん、ツレにある料理をリクエストした。高熱にあえいでいる時からずっと食べたかった一皿だ。
「しらすとねぎをたっぷり入れたチャーハン」である。
好物をレシピ化
だが、作り方を細かく伝えるまでの気力はない。そもそも、会話や接触は極力避けるのがコロナのイロハ。そこで「しらすとねぎでチャーハンが食べたい」とだけ伝えた。出てきたものはイメージ通りだった。油は最小限で塩は控えめ、卵も入っている。
「以前に私が似たようなチャーハンを作って出したことがあり、その印象が残っていたのかもしれない。弱っているときに望みの味を得られて、ずいぶんと心にしみた」
心身ともに衰える闘病中は、他人の厚意や善意を何倍にも感じるものだ。
「誰かと暮らす場合、お互いにそれなりの自炊力があるというのは本当に大事なことだ...いざというときに交代できるのもあるけど、『あの人は自分で自分をまかなえる』という安心感は、今回みたいに療養が必要な上ではとても大きなものだった」
好物や得意料理は違っても、それぞれに最低限の自炊スキルが備わるカップルは非常時にも強い。これは掃除洗濯など家事全般、もちろん育児にもいえることだ。
「人生何が起こるか分からない。もし私がもっと高齢だったら、あるいは解熱剤が効かなかったら...と考えてゾッとする。うちのツレはレシピがあれば大抵のものは作れる。今のうちに、あの人の好物をレシピ化しておこう。私の身に何かあったら、たまには作って思い出してほしい...などと先に逝く前提で考えてしまう(笑)」
つい しんみり
フードライターにもジャンルがあるが、『自炊力』(光文社新書)なる著書もある白央さんは、食べ歩きの評論家というより 暮らし密着の実践者といえる。
オレンジページは、季節のレシピが満載の料理雑誌。白央さんのコラムは隔号で掲載されてきた。雑誌が月二回発行なので、スタートから2年、計24回での終了だ。よりによって最終回は自炊ならぬ「他炊」の顛末を記すことになり、タイトルわきにある「作ったもの」欄も正直に「作ってもらったもの」に変えてある。
「自炊力」は独り暮らしのクオリティーを左右する。食材や調理法、購入先の選択肢が豊かになった今でも、それは変わらない。本作を読んで、二人暮らしでも、子どもがいてもいなくても、個々の自炊力は重要だと納得した。音楽のバンドでも、それぞれが複数の楽器をこなせれば何かの時に融通が利くし、創作の幅も広がるというものだ。
もうひとつ勉強になったのは、好物のレシピ化という作業である。得意料理ほど、目分量や勘に頼りがちになる。実は白央さん、小さじ何杯、カップ何㏄というのがどうも苦手らしい。その人が「レシピ化」を言うのだから有用と思われる。これまた音楽にたとえれば、どんなに素晴らしい楽曲も楽譜がなければ引き継げないし、残らない。「私の身に何かあったら、たまには作って思い出してほしい」...しんみりと共感してしまった。
本作はこう結ばれる。「さて本連載も最終回。憧れの『オレンジページ』でコラムを書けて嬉しかったなあ。2年間本当に、ありがとうございました」。
こちらこそ、自炊にもいろんな「奏法」があるものだと勉強になった。同じ料理好きとして、大いに楽しませてもらいました。
冨永 格