週刊新潮(1月26日号)の「医の中の蛙」で、医師の里見清一さんが時代とともに変わる「呼称」を批判的に論じている。東京の地名から 自身も関わる病気の名前まで、筆者は「字面をよくするための変更」に苦言を呈する。
まずは、由緒ある旧町名が消えていく話。里見さんによると、戦後の都市化で区画が一変したり、田畑や山林に道路や宅地ができたりして、住居表示を整理する必要が生じた。とりわけ郵便配達の実務に支障が出たらしい。昭和37(1962)年施行の「住居表示に関する法律」により、長らく親しまれた町名が「整理」され、消えていった。
たとえば新宿御苑の北側に広がる花園町は、新宿区新宿1丁目という「面白くもなんともない名前」になった。旧名の「花園」は新宿5丁目の花園神社や花園万頭でも知られるが、1丁目では小学校や公園の名に残るのみだ。 落語の大師匠、六代目三遊亭圓生が住んでいた淀橋区柏木は北新宿になった。
「(柏木の師匠と呼ばれた圓生が)高座に上がるときに『待ってました、北新宿!』なんて掛け声がかかろうものならドッチラケだったろう」
「病名もまた変わる。私のように昭和の時代に医学部を卒業し、40年近くも経つ者にとっては、これが頭痛の種となる...今さら覚え直そうにも、20代の頃の記憶力なんて既に影も形もない。こういうのは一種の老人虐待ではあるまいか」
血流障害から臓器機能障害に至るチャーグ・ストラウス症候群という難病があるそうだ。病名は発見者の名そのもので、病態とは関係がない。医師を目ざす学生たちにすれば覚えにくく、それゆえ試験にはよく出たという。
「それが今では『好酸球性多発血管炎性肉芽腫症』と称するらしい...『北新宿』と同じで味も素っ気もない。略称を『EGPA』と言うそうで...なんのことかサッパリである」
字面をよくしても
日本糖尿病協会は昨秋、糖尿病という名称を変える方針を打ち出した。「尿」の字のイメージもあり、患者へのアンケートで9割が不快感や抵抗感を示したためだ。
「『怠け者のような目で見られる』なんて回答もあったそうだが、むしろそれを言えば、日野原重明先生が提唱された『生活習慣病』の方が、それ以前の名称『成人病』よりよほど患者に『病気になったのはお前自身のせいだ』なんて印象を与えるのではないか」
より分かりやすく、あるいは患者によかれと変えた名称も「完全」ではない。
「伝統ある名前を、『字面をよくする』ために変更するのは、郵便配達の便宜のために『柏木』を『北新宿』にするよりも説得力を欠くように思うのは私だけだろうか。『痴呆症』を『認知症』と言い換えて、『認知症』に対する偏見は少しでも改善されたのだろうか」
里見さんは皮肉を交え、本作をこうまとめる。
「それでも言葉を小綺麗にしたいというのなら、ジョージ・オーウェル『1984』に出てくる『ニュースピーク』(作中の全体主義国家が国民の思考制限のために考案した新言語=冨永注)みたいにすればいい。歴史を独裁者の意のままに改竄・捏造する『真理省』、戦争を行う『平和省』など、参考になる言葉がたくさんある」