LEE 1・2月合併号の「ま、さじ加減でしょ。」で、綿矢りささんがインフルエンサー(影響力のある情報発信者)について論じている。作品は、まだそんな表現さえなかった30年近く前の、子ども時代の思い出話から始まる。
「インフルエンサーという言葉を聞くたびに思い出すのは...」という冒頭、何を思い出すのかといえば、小4の時の級友、鈴城さん(仮名)をめぐる「プクプクシール事件」だという。綿矢さんの年齢からして1990年代半ば、生地 京都でのことだろう。
「小学生の私はシール集めに情熱を燃やしていて、度々行く文具屋さんのシールコーナーに佇むのが至福のときだった」
子どもたち、とりわけ女子の間でシールが流行していた頃で、いろんな工夫を凝らした新作が次から次に発売されていたそうだ。そこに、プクプクシールが登場する。
「シール自体の持つ粘着力ではなく、上から十円玉などでこすって、紙の上に転写する...保護シートをぺりりとはがすと、まるでペンで描いたように可愛いキャラクターが転写され...線が少し立体的に膨らんでいる...これはシール革命だと思った」
縁だけが浮き上がったキャラクターは、シール好きには斬新そのものだった。綿矢さんは小一時間かけて一番気に入ったものを1シート買い求め、学校へと持参する。
「陰キャ(陰気なキャラクター=冨永注)としか言いようがない当時の私の周りに、初めて小さな人だかりができた。『何そのシール、おもしろ~い!』 クラスで一番人気の女子、鈴城さんまで声をかけてきた」
先見性+人気と財力
鈴城さんの登場である。女子からも男子からも愛され、勉強も体育も料理もできて、おまけに可愛い人気者だ。彼女とシールで盛り上がれたことで有頂天になった筆者は、文具屋の名と場所を教え、ハサミで切り離した一枚をあげた。そして翌日の昼休み...
「鈴城さんの周りには人だかりができていて、彼女の机の上にはプクプクシールが山盛りあった。途方もない財力と行動の素早さである」
鈴城さんは大量に買い込み、気前よく級友たちに分け与えていた。
プクプクはたちまちクラス中で大流行となる。わざわざ〈これ鈴城さんが流行らせてんで〉と知らせてくれる子もいた。綿矢さんは「最初に見つけたのは...」と言いかけて、落ち込んだ。「あの鈴城さんと同じものを持ちたい、欲しいという気持ちでハマった子も多い」と悟ったのだ。私ではムリだと。
鈴城さんは〈りさちゃんもこのシール好きやったよね〉と、丸ごと1シートをくれた。綿矢さんはその太っ腹にあっさり感服する...〈メッチャいいひとやん〉
「インフルエンサーには先見の明以上に、人気やある程度の財力が必要だ...人気のある人と同じものを持ちたいという気持ちを呼び覚まし、次第に同じものを持ってる人たちと連帯感が生まれて、遊びが広がっていく」
綿矢さんは、インフルエンサーが話題になると鈴城さんの顔を思い浮かべる。
「誰かが何かを流行らす心理は結局、教室も社会もあんまり変わらないのかもしれない」
口コミの威力
その言動が社会に大きな影響を及ぼすインフルエンサー(influencer)。そのイメージは時代とともに変遷してきた。インターネット以前であれば、大新聞のコラムニストやテレビの人気者も一定の力を持っていたことだろう。
SNSの時代となり、フォロワーの多さが影響力の尺度になった。インフルエンサーの好みが多数の購買行動を左右することに目をつけ、企業も宣伝に積極利用するようになった。SNS全盛のいま「口コミ」の効力は馬鹿にできないのだ。
30年近く前の小学校では、圧倒的な力を持つのは文字通りの口伝えだった。もともと人気のあるクラスのリーダーがプクプクシールを気に入ったとたん、それが学級の標準装備のようになる。最初にどの子が持ち込んだか、なんてことには誰も関心がない。
日ごろ目立たない存在だった綿矢さんにすれば、落胆しながらも「きっかけは私だもん」と密かに誇るくらいが 身の丈に合っていたのかもしれない。
シール集めに夢中になった少女は10年後、最年少で芥川賞を受賞し、時の人になる。当時のクラス仲間で、いま一番の「インフルエンサー」は間違いなく綿矢さんだろう。
鈴城さんも熱心な読者に違いない。
冨永 格