婦人公論1月号の「転がる珠玉のように」で、英国在住のブレイディみかこさんが「タブレット端末」を糸口に、かの国の新型コロナ禍について書いている。
「iPadのスクリーンが割れた。このiPadは過去3年のあいだ、大活躍してきたヒーローだ。コロナ禍で日本に帰れなくなってから、リモートに切り替わった取材やメディア出演、イベント登壇など、それらすべてをこのiPadを使って果たしてきた」
原稿などはパソコン、外出時はスマホと使い分けてきたブレイディさん。いまではタブレットこそが仕事上の相棒であり、私生活でも欠かせぬ端末となった。
たとえば「連合い(つれあい)」の入院時、好きな映画をダウンロードして息子が枕元に持参した。病室からのビデオ通話でも重宝した。夫が病棟でコロナを併発した時には、看護師が闘病の様子を見せてくれもした。
彼の容体が悪化し、医師に「覚悟して」と伝えられたのもiPad経由だった。
「どうしてスクリーン越しにこんなことを...タイミングの不幸を呪った。奇跡のように連合いが回復したときにも、まだ生きて呼吸している彼の姿を、看護師がこのiPadを使って見せてくれて、家で息子と一緒に泣き笑いした」
だからiPadの破損は、相棒が力尽きたようで寂しい...久々に会った友にそんな話をしたところ、涙目でうつむいてしまったという。彼女が一線の看護師であることを思い出し、筆者は瞬時に悔いた。現場で日々直面する生死の記憶が生々しすぎたようだ。
苦も楽も伝えて
「彼女のような医療従事者にとっても、タブレットは過去3年間、業務上欠かせないものだった...コロナ病棟では家族の面会は許されなかったので、患者が危篤状態に陥ったとき、病院側はビデオ通話で家族に 亡くなっていく患者の姿を見せるしかなかった」
パソコンはかさばり、スマホ画面は小さすぎる。タブレットの出番である。
「スクリーン越しに看取る。そんな家族の送り方しかできなかった人々の行き場のない悲しみを...繰り返し、目の当たりにしてきたのだ」
その友人は50代で早期退職、悠々自適の年金生活に入っていた。コロナが始まり、政府がリタイア後の医師や看護師に現場復帰を呼びかけたことに応え、病院に戻ったそうだ。元の仲間たちを放っておけないと。そして積み重なる やりきれない記憶。それを象徴するアイテムもまた、タブレット端末だったらしい。
「わたしが沈黙していると、彼女は思い直したように微笑しながら言った。『冬が来る前に、久しぶりに休みを取って旅行しようと思ってるんだ...おいしいものを食べてるところを現地から生中継するから』 彼女はそう言って いたずらっぽく笑った」
「冬が来る前に」とは、次なる感染の波の前にという意味らしい。
「タブレットは楽しい事象を映し出すものでもある。少しずつ、少しずつでも、彼女にとってそっちのほうが増えていけばいい。そしてそれを見るために、割れたスクリーンのiPadを処分して、新しいものに買い替えようと思った」
全治X年の災い
英国のコロナ禍。累計感染数が2400万人台(日本は2800万人台)、死者は日本の5万人台に対し21万人を超す。人口が日本の半分だから相当な猛威で、とりわけ死者が多い。経済に水を差す規制は緩和されたが、引いては返す「波」への警戒は怠れない。
ブレイディさんは「われわれ英国に生きる者は、コロナ禍はもう終ったものと思っているが、医療従事者にとっては今も進行中の事実なのだ」と書いた。
英国だけではない。野戦病院を思わせる現場映像がメディアを通じて拡散され、医師や看護師はもちろん、エネルギー供給、運輸、治安などに携わるエッセンシャルワーカー(それなしには社会が回らない仕事)への感謝と慰労の声が世界中にあふれた。
ブレイディさんは、夫の入院話や友人看護師の体験を通じて、コロナという災いの不条理を描いている。タブレット端末を舞台回しのように使いながら、画面に映し出される悲喜こもごもの人間模様を綴る。
冒頭の「割れたiPad」が末尾に再登場するのは、定型ともいえる仕掛け。ただ著者が巧いのは、最初のそれが読者に「不穏」を予感させる小道具なのに対し、結語のほうは「希望」のモチーフとして用いていること。読後感はこれで 俄然明るくなる。
世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長は12月14日の会見で、1週間あたりの世界の死者発生が1年前の1/5に減ったことに触れ、「来たる2023年、コロナが世界的な緊急事態ではないと言えることを期待する」と述べた。
とはいえ、パンデミックでささくれた社会は、壊れた端末のように買い替えることはできない。失われた命、商機、時間、青春なども然り。世界の人々が長短それぞれの治療期間を抱えて、コロナ禍は四年目に入る。
冨永 格