創作の宿命
小川さんは間もなく36歳。2018年に『ゲームの王国』(早川書房)で日本SF大賞と山本周五郎賞を受賞し、人気作家の仲間入りを果たした。
冒頭は東京大学時代のキャンプ。口では嫌だと言いながら、池に飛び込む準備を怠らなかった自分を恥じる話である。もっと絞り込めば、携帯電話を預かった友人が〈こいつ、実は飛び込むつもりなんだな〉と見透かしていたであろうことが恥ずかしいと。
これは理解できる。飛び込まなくても、あるいは飛び込んでケータイをダメにしても、筆者は違う後悔に苛まれただろう。携帯を救いつつ 場の空気に合わせるという結論は、筆者なりの合理的判断であり、その代償としての 避けがたい恥ずかしさといえる。
意図を読まれた経験がトラウマになっているのか、スーパーのレジで献立を見破られるのも辛いという。ここまでくると いささか病的にも思えるが、それはたぶん、自著の読者にありきたりのプロットを読まれるのが怖い、という結論にもっていくための「つなぎ」なのだろう。三段とびの真ん中、ステップの部分だ。ただし、当該エッセイのタイトル「フェイクブロッコリー」はここから取っている。
他人に意図を正確に読まれる...いわば脳内や心を丸裸にされることへの抵抗は誰にもある。とくに読者や観衆を気持ちよく「裏切る」ことを求められる創作のジャンルでは、先を読まれてしまっては恥ずかしいどころか、作り手の完敗である。
思えば同じ物書きでも、私が長くやった新聞記者はその種の気苦労とは無縁だった。誤読の余地や曖昧さをとことん排し、誰がどこから見てもカレーだとわかる具材だけを、勢いよくカゴに放り込んでいけばよかったのだから。
冨永 格