高齢者と免許 五木寛之さんが選んだ「運転できるが、しない」

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1年ごとの許可制

   自らレーシングチームを作るほどのカーマニアだった五木さん。〈運転はしないが、運転はできる〉...これが運転をやめてからの心の支えだったという。いざとなれば、法的にも身体的にも〈運転できる〉人間でありたかったと。「できないからしない」と「できるけどしない」は、結論は同じでも本人にとって雲泥ほどの差があるのだ。

   私もクルマ好きの一人なので、大作家の葛藤はおおよそ理解できる。整備をしっかりしておけば、そいつは運転者の意のままに動いてくれる。とりわけ「エンジンさえかかれば、いまから北海道でも九州でも行ける」という万能感、といっても陸上移動に限ったことではあるが、思い立ったら何時でも 何処へでもというのが他の交通手段と違う。

   「走るだけの道具ではない」という言葉が象徴するように、この輸送機械に実用以上の意味を与えている人ほど、断ちがたい未練が残るのだろう。

   他方、身体能力や運転技能を過信した高齢者の重大事故が多発している現実がある。免許返上は、クルマ好きに踏ん切りをつけさせる早道ではある。

   たとえば免許の交付は満80歳になるまでとし、運転は生活上どうしても必要な人に限り、能力のチェックを経て1年ごとに許可証を発行する、というのはどうだろう。

   クルマ好きが「愛車なしの人生など考えられない。生活上どうしても必要だ」と主張したら? 私が担当者なら「もちろん最初は寂しいでしょう。でも、あの五木さんでも心の空洞は5年ちょっとで埋まったそうですよ」とでも言おうか。

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。
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