ぐるり廻るは...
自称「オバ記者」こと野原さんの連載には、いつも共感することが多々ある。理由の半分は同世代という背景だろう。私が静岡から上京したのも18歳だった。
「私たち」が中2の頃といえば1970年代初頭、日本は高度成長期の終わりがけだ。東京では大学紛争が落ち着き、超高層ビルが建ち始めた時期である。
行き先が叔母さん宅とはいえ、中2の娘が単身東京に行くのは早い気もするが、中卒で故郷を出た労働者もたくさんいた時代、今とは感覚が違うのかもしれない。
北の玄関口といえば上野だが、野原さんの義父は〈上野まで行って乗り換えるより日暮里で降りっちめ。それで山手線の新宿行きの方に乗んだど〉と繰り返した。何度も聞くうち、彼の口上〈ぐるり廻るは山手線〉というフレーズが耳の奥にこびりついたそうだ。
車窓から垣間見た東京の日常...寝転ぶステテコ男に「望む暮らし」を見た野原さん。それが意味するところは結局、田舎にはない「貧乏する自由」だった。
目をぎらつかせ、成り上がるチャンスを求めて上京する青少年も多かったはずだが、野原少女のように、大都会の匿名性や開放性に憧れる地方出身者もいた。すっかり豊かになったニッポンの都には、もはや金太郎飴ではない、枝分かれの青春が息づいていた。
半世紀前の私的な思い出話ではあるが、時代を絡めることで面白い読み物になる。野原さんの気取らない筆致がまた、同世代のノスタルジーをかき立てる。
冨永 格