能とプレゼン 小川仁志さんは「世阿弥の極意に学べ」と指南

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   週刊エコノミスト(10月11日号)の「哲学でスッキリ問題解決」で、哲学者の小川仁志さんが人を引きつけるプレゼンテーションの勘所を説いている。毎回、読者の相談に先生が答える体裁で、今回の相談内容は以下の通りである。

   〈もともと人前で話すのが苦手なのですが、仕事の関係でプレゼンをする機会が増えて困っています。どうすれば人を引きつけられますか=製薬会社勤務 40代女性〉

   「私も人前で話す仕事をしているので、プレゼンの重要性は日々実感しているところです」と始めた小川さん。意外にも、能を大成した世阿弥を引きながら展開する。

「希代のエンターテイナーであり、思想家でもある世阿弥の能の極意...その裏には彼のいくつもの試行錯誤があったようです。だからこそ彼の能は、時代を超えて人々を魅了し続けているのでしょう」

   能にはプレゼンに役立つ三つのポイントがあるという。まずは聴衆との関係だ。

「世阿弥は、事前に観客のことをよく知るよう説きます。相手に合わせないと、いくらいい演技でも引きつけることができない...これはプレゼンも同じです。聴衆のレベルやニーズをよく把握しておく必要があります」
  • 厳島神社の「能舞台」
    厳島神社の「能舞台」
  • 厳島神社の「能舞台」

秘すれば花

   二つ目のポイントは話し方である。世阿弥は、舞が進行する三段階(始め~中間~終わり)を、よく知られる「序破急」なる言葉で表現した。すなわち、ゆったりと自然に任せる「序」、これを破って様々に力強く演技を尽くす「破」、その上でさらなる名残の一体として乱舞する「急」に至ると。

「こうして自然にかつ徐々に盛り上がっていくことで、人は引かれていくものなのです。プレゼンも同じで、ずっと一本調子では飽きられてしまいますから。ぜひクライマックスを意識してください」

   そして三つ目は、いよいよ話す内容となる。ここで筆者は、世阿弥が著作「風姿花伝」に残した有名な一節〈秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず〉を参照する。

「すべてを見せずに、意外性によって観客を感動させるのがいいという意味です。プレゼンもまったく同じで、気になる要素を残すことが必要です。もっと知りたい、(商品のプレゼンであれば=冨永注)実物を手に入れたいと思わせる必要があるからです」

   以上をまとめれば〈相手を知り、緩急をつけてクライマックスへ。余韻を残して終わる話の構成を考えよう〉となる。

「この三つのポイントを実践していただくだけで、見違えるようなプレゼンができるに違いありません。何しろプレゼンは、人を引きつけるためのエンターテインメントですから」

思い切りよく

   商品や企画のプレゼンにせよ、一般的な講演にせよ、確かにエンタメの要素はある。私もたまに初対面の人たちを前に話すことがあるので、飽きさせないよう楽しませる努力はしている。とはいえ「プレゼンはエンタメ」と言い切るには勇気が要る。畑違いの世阿弥を援用したことを含め、思い切りのよさが本作の売りだ。だから歯切れもよい。

   世阿弥は室町時代初期の能役者にして能作者。演技も脚本も制作もこなす、いまで言えばマルチプレイヤーだった。足利氏の庇護の下、父の観阿弥とともに能を洗練し、芸術の域にまで引き上げた功労者とされる。

   とはいえ600年前に生きた人物から、現代に通じるプレゼンの極意を引き出すのは力技だ。そこでは「序破急」「秘すれば花」といった、聞けば分かったような気にさせてしまうパワーワードが重要な役割を果たす。

   聴衆を知り、緩急をつけ、余韻を残して終わる...言い古されたプレゼンのイロハではあるが、世阿弥の表現と重ねることで納得感が増す仕掛けだ。読者(相談者)は新鮮な驚きとともに「さっそく使ってみよう」と思うだろう。

   いまや国際企業のトップともなれば、身ぶり手ぶりは当たり前、ステージ上を動き回りながら英語でプレゼンする時代だ。その手の指南書も多いのだろう。表情の豊かさなどは舞台役者も顔負けで、かえってウソ臭く感じることさえある。

   いっそ能面でもつけたら、話がもっと耳に入るのではないか。

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。

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