いま、声優業界を揺るがす2つの問題がある――。こう訴えるのは、声優の甲斐田裕子さんだ。「ワンダーウーマン 1984」などの海外映画の吹き替えはじめ、アニメ「銀魂」の月詠、「約束のネバーランド」のイザベラなど、国内作品にも多数出演している。
昨今、声優は、イベントや動画への出演など活動の場を広げている。憧れる人は後を絶たないが、業界を取り巻く情勢は厳しいようだ。ベテラン声優が明かす実態とは。
拘束時間の短縮「よい変化」と言えない理由
かつて収録は、20~30人の声優が1つのブースに入るのが日本のスタイルであり、「『伝統芸』だった」と語る甲斐田さん。自分の出番が無くても、他の演者と同じ空気を共有してこそ味わえる一体感や、先輩の立ち振る舞いを見て盗むことでしか得られない技術があった。
だがコロナ禍で、個々で収録し、ブースを消毒・換気して入れ替わる形式が定着。学びや気づきの機会が奪われ、数字や言葉で表せない技術・文化が、先達から後進に伝わりきらないまま失われているという。
今でも1人きりの収録はある。
「掛け合い相手がいない状態での収録が続くと、『これでよかったっけ?会話できている?』と不安になりますね」
結果、役者の拘束時間は短縮された。甲斐田さんに言わせれば、「吹き替えだと、映画の主役でも半日ほどで終わるようになりました。前は丸1日仕事だったのに」。よい変化では、と思うかもしれないが、格差の深刻化につながっている。
制作側が「この役はこの声優に」と依頼したくても、役者が揃って収録するスタイルだと、全員の都合を合わせなければならない。調整が難航すれば、スケジュールの兼ね合いで二番手、三番手として考えていた候補者に仕事が回ることも珍しくなかった。しかし拘束時間の短縮により、人気声優がますます多くの仕事を請け負えるようになった。元々忙しい売れっ子に、依頼が集中するのだ。すると、
「二番手、三番手で、経験を積めばいずれ上に行けたはずの『これからの子たち』に、チャンスが巡ってこなくなっています」
仕事減、税負担増...廃業もやむなしか
甲斐田さんが危惧している問題が、もうひとつある。2023年10月に施行が予定されている「インボイス制度」(正式名称:適格請求書等保存方式)だ。取引の正確な消費税額と消費税率の把握を目的としている。
甲斐田さんは、同制度への反対運動を行う有志グループ「VOICTION」立ち上げ人のひとりだ。ツイッターで運動への協力を呼び掛けたり、自ら国会議員に陳情したりと、精力的に活動している。
なぜ、制度を問題視するのか。背景には、声優の収入実態が深く関わっているようだ。
VOICTIONが実施した「声優の収入実態調査」(回答数260件、22年9月29日発表時点)によると、「年収300万円以下」の回答が72%にのぼっており、1000万円以上は5%にとどまった。20代、30代の約半数は100万円以下と、厳しい状況に置かれているという。
VOICTIONは、多くの声優は消費税の納税義務がない「免税事業者(課税期間の基準期間における課税売上高が1000万円以下の法人や個人事業主。非課税事業者とも)」に当たると推測する。インボイス制度は、その免税事業者に大きな影響を与えるのだ。
インボイス(適格請求書)は、課税事業者のみ発行できる。免税事業者と取り引きし、インボイスではない請求書を受け取ると消費税の控除が受けられず、納税額が増える。つまり、多くの声優が免税事業者だと考えられるなら、報酬を支払う側は消費税控除の対象から外れることになる。
VOICTIONが、フリーランスを対象に行った「インボイスに関するアンケート」(回答数183件、22年9月29日発表時点)によると、所属している事務所や取引先などから次の話があったと明かす回答者が出てきている。
・インボイスの発行がない場合、今後の取引をしないという通告が来た。
・課税事業者にならないと、その分値引き(※請求時、本体価格に消費税を組み込む)。
声優側は、申請して課税事業者になると税負担が増え、免税事業者で居続けると仕事が減ったり、値引きを強いられたりするリスクにさらされる。「廃業」の選択肢もちらついてくる。
受賞時に立てた誓い
時間をかければ大成し、文化発展に寄与するかもしれない声優の卵が、人知れず業界から去る可能性がある。甲斐田さんはこうした状況を見過ごせず、アクションを起こした。ただ「政治的な言動をすると、事務所や取引先から難色を示される」と声を上げない人、「制度導入に反対しても変わらない」と諦める人は少なくないと言う。
「あまり、気の利いたことを言葉で伝えられるタイプではない」と甲斐田さん。それでも、前面に立って働きかけると決めた理由には、第13回声優アワードで「外国映画・ドラマ賞」を受賞した時に立てた誓いがある。
「吹き替え文化を守って、時代に合わせて存続させ、次の時代に受け継ごうと。私にとってはその結果が、VOICTIONなんです」
人材なくして、作品は形にならない。次代の文化を支える若い芽を守るため、声を上げ続ける。