転倒記 土屋賢二さんは転ぶまいと選んだタクシーの横で転んだ

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   週刊文春(9月29日号)の「ツチヤの口車」で、お茶の水女子大名誉教授の土屋賢二さんが、自身の転倒について報告している。冗談を並べたような連載なので、哲学者が書くものだからと真に受けては痛い目に遭う。しかし今回だけは、転倒したことは事実であるという前提で、いろいろ心配しながら引用させてもらう。

   「この歳になって、『寝ても覚めても』状態がこんなに続くとは思わなかった。もう五日になる。五日前、所用で出かけた帰りだった」と始まるコラム。まずは事の経緯から。

   筆者はその日、両手に荷物、肩に鞄という姿で駅を出た。疲れているうえ雨も降りそう。ここで家路を急げば転倒のリスクがあると、タクシーの利用を決めたそうだ。

「急いで先頭のタクシーに乗ろうとして頭を下げた瞬間、天地がひっくり返った...つまずきもしないのにその場で転倒したのだ...めまいはわたしの百余りある持病の一つで、年に四、五回律義に訪れる...その日もめまいがピークに達していた」

   衝撃は激しく、仰向けなのか横向きなのか、逆立ちしているのか前後不覚である。

「上品な老紳士が衆人環視の中で無様な姿を晒していることしか分からない...事態がこうなったら、明るい材料は一つしかない。これ以上転ぶことはない」

   客待ちの運転手が何人か近づき声をかけてきたが、手を貸す人も財布を抜く者もいない。土屋さんは自力で起き上がり、倒れ込むように乗客となった。

   ふと気づくと、腕のスマートウォッチが警告音を発している。〈ひどく転倒されたようです〉というメッセージが出ており、(1)SOSを発信する(2)転んだけど大丈夫...のどちらかを選べという。これで「ひどく転倒したことが明確に確認できた」そうだ。

  • 「タクシーに乗らなきゃ」と、つい急いで…
    「タクシーに乗らなきゃ」と、つい急いで…
  • 「タクシーに乗らなきゃ」と、つい急いで…

足首に激痛が

「家に帰り、ざっと身体を点検した。手足や首は胴体から抜け落ちていない。内臓が失われたかどうかは不明...膝に擦り傷がある。とりあえず軽傷ですんで初めて安堵できた。どっと疲れが出て、横になるとすぐに眠りに落ちた」

   ところが土屋さん、両足の激痛で目が覚める。左右の足首がけいれんしていた。足首がつるのは初めて、しかも両方いっぺんに。いつもはビーチサンダルなのに、その日は靴を履いており、ふだん使わない筋肉を酷使したせいに違いないと自己診断を重ねた。

「激痛に耐えつつ、これから先、ビーチサンダルで通すしかないと覚悟を決めた。翌日、足の各指、足の裏、足の甲、足首の周囲が筋肉痛を起こしていた。筋肉がこんなに細かく多数ついているとは思わなかった」

   それより深刻そうなのは、肋骨の痛みだった。

「仰向けに寝ても、右向きに寝ても左向きに寝ても逆立ちで寝ても、痛くて眠れない。眠っても短時間で目が覚める。続けて十二時間寝るのはとうてい無理だ。それが五日間続いている。寝ても覚めても痛い」

不運もネタに

   自慢ではないが、土屋コラムにはもう何度もだまされてきた。本作もどこかで「...そんな夢を見た」的などんでん返しがあるのではと、地雷におびえながら読み進む。その心配は無用で、というか別の心配が必要で、先生、本当にひどい転び方だったのだと理解した。打ち所が悪かったか、肋骨を折った疑いもある。まずは速やかな軽快をお祈りする。

   現実の悲劇を綴りながらも、引用部分でお分かりの通り土屋節は健在だ。自らの不運や災難さえも作品化できる図太さと根性。それなしに有力誌での連載が1260回も続くわけがない。コラムニストは繊細かつタフでなければ務まらないと知る。

   今回のタイトルは「寝ても覚めても」。冒頭にも同じ言葉がある。「何のことだろう」「何がだろう」と思わせておき、結語で種明かしをする古典的なスタイルである。要するに、寝ても覚めても、四六時中 痛みが続いているというわけだ。

   土屋さんは77歳。作中にも「高齢者に転倒は致命的だ」とあるが、日々の生活を一変させる手足の骨折は衰弱の引き金ともなる。「百余りある持病」にも十分ご留意いただき、読者の予想を超える冗談で末永く笑わせてもらいたい。

冨永 格

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