アントニオ猪木さん外交も闘魂 北朝鮮を30回以上訪問、湾岸戦争ではイラクに

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   2022年10月1日に79歳で亡くなった元人気プロレスラー、アントニオ猪木(本名・猪木寛至)さん。スポーツ界だけでなく、幅広い層から悼む声が寄せられた。参議院議員を務めたこともあったため、政界からの弔意も多かった。安倍晋三元首相の国葬では一部野党の責任者が欠席したが、猪木さんの死去では与野党の立場を超えて弔意が集まった。

  • アントニオ猪木さん(2017年撮影)
    アントニオ猪木さん(2017年撮影)
  • アントニオ猪木さん(2017年撮影)

「国会に卍固め」

   猪木さんは1989年、「スポーツ平和党」を立ち上げ、「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」をキャッチフレーズに同年の参院議員選挙に当選。さらに日本維新の会、次世代の党などにも所属し、参議院議員を2期務めた。湾岸戦争時は、人質状態にあった在留日本人と全人質の解放に貢献した。また、北朝鮮には独自の立場で30回以上訪問し、両国間の関係修復に努めたことでも知られる。

   東京スポーツによると、自民党の世耕弘成参院議員はツイッターで「アントニオ猪木元参議院議員のご冥福をお祈り申し上げます。何度か仕事上で接点を持たせていただきましたが、経産大臣時代のこのやりとりが印象に残っています。合掌」と2017年の参院予算委員会での動画を添えた。

   次世代の党で猪木さんと共にした自民党の杉田水脈衆院議員は「悲しくて悲しくて、泣いています。維新が分裂した時、次世代の党に参加を決断してくださった猪木先生」と記者会見の時の写真を添えた。

   同じく次世代の党で猪木さんと活動した自民党の山田宏参院議員は「頼まれたらノーと言えない男気のある優しいお人柄でした。心よりご冥福をお祈り致します」と振り返った。

偉大なヒーローをしのぶ

   所属が異なる政党の有力議員からも追悼の言葉が多く寄せられた。

   デイリースポーツによると、立憲民主党の小沢一郎衆院議員は自身のツイッターを更新。「アントニオ猪木さんがご逝去されたという一報を聞き、深い悲しみを覚えます。野党の大きな塊を作るという活動の中でご指導をいただきました。病と全力で闘っておられたその姿は尊いものでした。また元気に『闘う』お姿を見れないことは残念でなりません。心からご冥福をお祈り申し上げます」と追悼した。

   また、国民民主党の玉木雄一郎代表も自身のツイッターで「真っ赤なマフラーが目に焼き付いています。心からお悔やみ申し上げます」と悼んだ。

   共同通信は、プロレス好きで知られる立民の野田佳彦元首相に取材している。野田氏は、猪木さんの必殺技コブラツイストをまねした自らの子ども時代や、数々の異種格闘技戦も思い起こしながら「卍固めは難しくてできなかった。激闘で興奮させてくれた」と、偉大なヒーローをしのんだ。

力道山に見いだされた

   猪木さんは横浜市出身。家庭の事情で、13歳でブラジルに移住。たまたま現地に遠征した力道山に見いだされて日本に戻り、1960年にプロレスラーとしてデビューした。後年、恩人の力道山が実は朝鮮半島(現在の北朝鮮)出身だったということを知り、北朝鮮との交流に取り組んだ。

   今年9月12日に公開された朝日新聞記事「(現場へ!)拉致、北朝鮮と向き合う:1 力道山の叫び、直接届ける」では、猪木さんが朝日記者のインタビューを受けて、自身が北朝鮮と関わるようになった経緯などを説明している(取材は今年5月)。力道山の長女は、北朝鮮におり、猪木さんが1994年に初めて訪朝したときは、空港で出迎えてくれたという。

   この取材をした北野隆一編集委員は、猪木さんの死を受けて10月1日、改めて以下のような猪木さんの発言を紹介している。

「体を張って直接現地に乗り込んで、一緒にメシを食って酒を飲む。毒をあおってもいいというくらいの覚悟で会いに行けば、相手も受けてくれる。私はそうやってキューバやイラクにも乗り込んできました」
「拉致問題の解決はもちろん大事だが、いきなりその話だけをするのではなく、日朝関係の将来の話もしながら、拉致問題にもきちんと触れる。そんな話し合いが大切ですよ」

   そして、残念そうに語っていたという。

「私が元気だったら、また現地に乗り込んだかもしれない」

   拉致問題に詳しい元参議院議員の有田芳生さんは1日、自身のツイッターで、「北朝鮮との重要なルートが、また消えてしまいました」とつぶやいた。

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