婦人公論10月号の「地球の住民」で、ヤマザキマリさんが外国人の団体旅行について書いている。そもそも自由を求めて旅をする欧米の旅行者たち。ルールに縛られる集団行動は苦手な人も多く、お金を払っての不自由など論外という感覚らしい。
日本の景気が上向かないのは、海外からの観光客(インバウンド)がコロナ禍でごっそり消えたためだ。政府は水際対策の緩和を急ぐが、観光旅行は添乗員が付く団体ツアーに限っていた。個人で勝手に動かれては何かの時に収拾がつかない、というわけか。
「基本的に欧米人は、移動や到達が難しい地域への旅でもない限り、団体旅行に参加する傾向は低いように思う...彼らにとって旅というのは自由の象徴であり、団体としてのルールを守りながら他人と一緒に朝昼晩行動できるような人はそう多くはない」
まして日本のように治安が良く、英語もどうにか通じ、コンビニが深夜営業しているような国ではなおさら。はなから集団で動く利点が少ないのである。
イタリア人と結婚したヤマザキさん。15年ほど前、義母を含むイタリア女性11人を引き連れ、日本各地を2週間周遊したそうだ。参加者は平均65歳。「私にとってあの旅は人生における黒歴史として刻印されている」という。
2日で飽きた和食
成田でマンマ御一行を迎えた筆者は、到着ゲートから出てきた彼女たちの元気さに圧倒された。飛行機を乗り継いでの長旅なのに、時差も疲れもそっちのけ、新宿のホテルにチェックインするやいなや、散策に出ると言って聞かない。
「目を離せばあっという間に皆散り散りになってしまうし、気がつくといつも引率者である私が列の一番後ろを追いかけてばかりいる」
ヤマザキさんが記すマンマたちの「武勇伝」の数々...
〇勝手に入った老舗の喫茶店で、仮眠中のサラリーマンの写真を撮りまくる
〇静かな地下鉄で不要不急の会話。大声で「おたくのトマトソースは...」
〇飛騨高山では集合場所のバス停に一人も現れず、白川郷行きを断念
〇金沢の旅館の大浴場では全員がなぜか男湯に突入
〇寿司や天ぷらには2日で飽き、やがて連日のイタリア料理に
「日が経つにつれ、それぞれの行動への不満や不服が溜まってきたのか、『私は本当はこういう団体行動は苦手なのよ』『あら私もよ』などと毒を帯びた会話も増えてくるようになり、私はその場の緊張感をなだめるのに必死になった」
中に一人、団体旅行には慣れているという穏やかな参加者がいた。旅の終わり、彼女が中国の写真集を欲しがるので問い直すと「この旅の思い出に」と。中国の旅だと思い込んでいたらしい。「人任せの団体旅行ばかりしていると、こういうことにもなりかねない」。
「外国人観光客に戻ってきてもらいたければ、やはり団体旅行客限定という条件を外すしかないだろう」...ヤマザキさんの結論である。
個人旅行も解禁へ
訪日観光客は2019年に過去最多の約3200万人を記録、政府は「2030年に6000万人」という野心的な目標を掲げた。ところがコロナ過で目算が狂い、昨年はわずか25万人。これではせっかくの円安を活かせない、と旅行業界から突き上げられた政府は、近く個人旅行客の解禁に踏み切る。
いまや欧米だけではなく、団体ツアーで「日本好き」になった中国や東南アジアの旅行者もリピーターは個人志向らしいのだ。
ヤマザキさんが案内したイタリアの女性たちは、明るくエネルギッシュで人情に厚い。勝手な想像だが、全員が「大阪のおばちゃん」といったイメージである。そんな11人が異国を巡るのだから、先々で「事件」が起きても不思議ではない。
それらを描くヤマザキさんの筆致も明るく元気で、漫画チック。それでいて、日本が団体旅行に頼る限りインバウンドは戻らないという厳しい現実を物語る。
南極やアマゾンなど、いわゆる辺境ツアー以外で団体旅行を選ぶ人はそんなに多くない、とみる筆者。会話力も体力もある若い世代なら、個人で自由を満喫すればいい。あるいはイタリアのおばちゃんたちのような「押し」があれば、大抵のことはどうにかなる。
とはいえ、子ども時代から集団行動の場数を踏んでいる日本人には、団体ツアーも捨てがたい。私は東京発着でトルコ周遊に参加したことがあるが、それなりに快適だった。添乗員や現地ガイドに恵まれたこともあるが、ホテルでの手続きや移動手段を任せきりにできる分、観光や思い出づくりに集中できた覚えがある。
冨永 格