週刊朝日(9月2日号)の「それでも乗りたい」で、下野康史さんが「この夏、都内の道路で目立ったのは...」と二つの事象を挙げている。まずは救急車の多さである。
「それも路肩で赤色灯を点灯させて止まっている救急車。新型コロナの患者を収容したものの、受け入れ先が見つからなくて動けずにいるのだろう。医療が逼迫すると、走ってナンボの救急車が止まって考え込んでしまう」
確かに散歩中でも運転中でも、救急車を見かけることが多い。在宅時にもサイレンをよく聞く。熱中症+コロナの結果と思われる。
下野さんの「救急車体験」は大学生時代、40度を超す高熱で運ばれた時の一度だけ。タクシーで病院に行こうと、父親に「クルマ呼んで」と頼んで待っていると、ピーポーのサイレン音が近づいてきたそうだ。親も不安に思ったのだろう。
「今のハイエースよりだいぶ小さいワンボックス型で、乗り心地が悪かった。救急車がこんなに揺れていいのだろうかと思った」
病院は何かの感染症だろうとの見立て。注射をしてもらい、バスで帰って来たそうだ。1970年代の、どこか余裕があった東京を感じるエピソードだ。
昨今の救急出動は切迫感がより強い。なにしろ搬送先が定まらないまま病人や負傷者を収容するのだから、救急隊の心労は募るばかりだ。うかつに怪我もできない。せめて救急車の優先走行には、ドライバーとして精いっぱい協力しようと思う。
横断妨害に幇助罪?
この夏、下野さんが気づいたことの二つ目は、同じ「優先」でも歩行者についてである。歩行者や自転車が待つ横断歩道で、止まる車が増えたという。
「春の交通安全運動あたりから警察が横断歩行者妨害の取り締まりを強化したからだろう。ぼくも運転中は以前より横断歩道コンシャスになった」
ところが、歩車の譲り合いに水をさすような取り締まりもある。
「横断歩行者妨害というのは『妨害』の定義が曖昧なのが困る。歩行者がどうぞお先にと手で合図してくれたので発進したら、捕まったという恐ろしいケースもある」
下野さんが触れたのは、先ごろ足立区の駅前ロータリーで起きた事案だろう。この件、当事者の車載ドラレコに、横断歩道手前での一時停止と、当の歩行者が先に行くよう手で促す様子が映っていたため、警察はいったん摘発した違反を撤回した。
「歩行者が多い駅前の信号無し横断歩道を(歩行者として=冨永注)渡る時、そろそろ1台くらい行かせないとかわいそうだなと思って譲ることがぼくもある。その車が罰せられたら、夢見が悪い」
そして自動車(交通)評論家らしい結論となる。
「交通事故の多くは、コミュニケーションの欠如から起きる。譲り合いは交通安全のお手本だ。それを無にするような取り締まりはおかしい。歩行者が譲ってくれたから発進した。それで罰せられるのなら、横断歩行者妨害幇助罪も作ってもらわないと筋が通らない」