同情より共感 細谷亮太さんが振り返る小児科医のやりがいとは

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多忙で貧乏で

   細谷さんは東北大学医学部を卒業し、聖路加国際病院に勤務、小児がんの専門医として知られた。聖路加の小児科部長や副院長を経て現在は顧問。喨々の俳号で句作にも励み、「ゆうゆう」での連載は本作で74回を数える。

   冒頭のエピソードにある助け合い運動への参加は純粋な善意だったが、まだ子ども。生活に困る人への同情はあっても、共感までは無理だったのかもしれない。

   そうした「反省」は、しかし後の職業選択に生かされた。〈心からの共感に突き動かされ、かつ多くが共感できる仕事〉としての小児科医。振り返れば天職だったようだ。

   昨今、医学生の進路選びで小児科は人気がないという。信念から小児科を選んだ細谷さんだったが、開業医だった父親もこう釘を刺したそうだ。

〈小児科医には多忙と貧乏がついて回る。家族と暮らすのも大変だぞ〉

   しかし70歳半ばになった細谷さんは思う。

「父が心配したとおり経済的には恵まれなかったが、建前と本音がかけ離れることのないこの仕事を選んで本当に良かった」

   小児医療を「市場」と考えれば、最大の逆風は少子化かもしれない。しかし逆から見れば、子ども一人ひとりの命は家族にも社会にも、ますます重いものになっていく。

   連載に毎回添えられる一句は、1960年当時の細谷家の日常を詠んだものである。子どもが街にあふれていた往時の日本、町医者に頼る夜間の急患も多かったのだろう。

〈往診の父の夜食に子が集(たか)る〉

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。

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