神奈川県を中心に活動するプロオーケストラ、神奈川フィルハーモニー管弦楽団(以下、かなフィル)。2万7000のフォロワーを抱えるツイッターアカウントは、「音楽と、神奈川と、たまにイヌ」で構成される。奏者と楽器がずらりと並ぶ圧巻の一枚から、横浜の街並みや空と海、愛らしいイヌの写真まで、目を引く投稿ばかりだ。
音楽に携わるツイッターユーザーや各地のオーケストラ団体と交流したり、情報拡散を手伝ったりと、横のつながりも重視。「オーケストラ愛」にあふれた運用でファンを獲得し、自団の知名度向上や、演奏会チケットの売り上げに貢献している。
日本とドイツ、二つの音大を卒業
【神奈川フィルハーモニー管弦楽団】公演情報を中心に、地元・神奈川の観光名所や食どころ紹介。SNSをやっている楽団員が個人で出演する公演情報を拡散したり、中の人の愛犬写真を投稿したりすることも。アカウント開設は2010年7月。
担当者はマーケティンググループに所属し、主に広報業務全般やチケットなどの販促、各種SNS運用を行っている。
幼い頃から音楽に親しみ、ジュニアオーケストラに所属して木琴やティンパニといった「打楽器」に打ち込んでいた。音楽大学の打楽器科で四年間学び、卒業後も「プロのオーケストラプレイヤーになりたい」と、さらにドイツの音大で研さんを積んだ。しかし、「自分よりも上手い人が、周りにたくさんいた。ドイツに渡って1年くらいで、少しずつ『プロになるのは無理だな』と感じた」。
ドイツの音大を卒業し、帰国後は音楽と異なる道に進んだが、縁あってかなフィルに出会い、事務局スタッフとして活動を支えてきた。ツイッター運用には2016年ごろから本格的に携わっている。学び得てきた知識を生かし、コンサートで演奏する曲をわかりやすくかみ砕いて紹介しているのが特徴だ。例えば、リヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」は、「本当に登山体験をしているかのよう」と表現。
R.シュトラウスのアルプス交響曲。変ロ短調の下降音型が幾音にも重ねられ、真っ暗で不気味な夜が表現されます。やがて雲間や山々の隙間から一筋の光が全体を照らす輝かしい朝日となり、登山は山頂へ。神々しいまでの素晴らしい眺めと共に音楽が流れる様は本当に登山体験をしているかのようです!楽しみ pic.twitter.com/ldeneJ6EiQ
— 神奈川フィルハーモニー管弦楽団 (@kanagawaphil) May 26, 2022
ブラームスの「交響曲第2番」は、「まるで雲間からヴェルタ―湖に陽が差すような、息をのむ旋律」と説明した。クラシックに明るくなくても、どのような曲調なのかが感覚的に伝わってくる。
「打楽器以外の楽器や音楽史には、そこまで詳しくありません。だからこそ、表現が学術的になりすぎないのかも。『自分が曲を聞いて感じたこと』を、そのまま届けています」
楽器や楽曲の豆知識も、楽団員に話を聞き、ツイートしている。ハッシュタグ「中の人のちょっと聞きたい」は、演奏会前に見ておくと、オーケストラをより楽しめる情報が満載だ。「投稿ネタとして、コメントを動画で撮ったり、演奏会のリハーサルや本番の写真を撮影したりするため、楽団員との日ごろのコミュニケーションを大事にしている」と担当者。ツイッター運用とオーケストラに、「多くの人が力を合わせる」共通点がある。
演奏会会場までの水先案内人
公演情報を軸に、飼い犬にまつわるツイートや、地元・神奈川の景観や食事処の投稿をするなど、今でこそ「担当者の人柄が垣間見える、親しみやすいアカウント」だが、運用当初は楽団のイベント情報はじめ、音楽関連の発信のみだった。
転機が訪れたのは、仙台フィルハーモニー管弦楽団(以下、仙台フィル)と、「公演情報を相互にアップするようにし始めた17年頃」。記者が、仙台フィルアカウントの投稿をさかのぼると、16年には「オーケストラを支える裏方」人気投票を実施したり、「中の人が、午後8時をお知らせします」と時報投稿したり、11月29日に「いい肉の日」とつぶやいたりしていた。フランクなツイートの数々から、「これでもいいのか」と、かなフィル担当者は衝撃を受けたそうだ。
ツイッターではままあることだが、宣伝よりも、取り留めもない投稿の方がウケやすい。頻度や内容に気を付けながら、プライベート(個性)を出して、アカウントひいてはオーケストラに興味を持ってもらうきっかけにしたいと考えている。神奈川を訪れた人に「時間があるから、かなフィル聴きに行くか」と思ってもらえるよう、いつかのための種まきをしているのだ。
「バズりたいとも、今すぐ演奏会に来てほしい、とも思っていません。『オーケストラは、聴いたらどんな人でも楽しい』と知ってほしいんです」
オーケストラには、「硬い」「ハードルが高い」イメージがつきまといやすい。担当者に言わせれば、「確かにハードルは高い」。400年以上の歴史をもつ文化だからだ。そこを、またいでくるために手を差し伸べて「楽しいよ」と言ってあげられるのがSNSであり、中の人の役割だと捉えている。未来の観客が「演奏会に行こうと思う」ところから、演奏会を探し、チケットを購入し、会場に行くまでの「道筋を作る手伝いをしている感覚」だ。
取り組みが奏功しているのが、演奏会で実施するアンケート結果から見て取れる。どこでかなフィルを知り、来場したのかを問う項目に「ツイッター」があり、回答割合がじわじわ右肩上がりしているという。
「ベートーヴェンの素晴らしさが何かなんて、わたしもわかりません。演奏を聴きに来てもらって、とにかく『すごい』というのを共有したいんです」