こども家庭庁への注文
村木さんは周知の通り、曲折を経て厚労事務次官(2013~15年)に登り詰めた元官僚。もともと「役人臭」の薄い人だが、肩の力が抜けてエッセイストらしくなってきた。文章は技巧に走らず、変わらずわかりやすい。
本作は要するに「誰もが努力できる環境を」というアピールである。存分に努力するには、家計の都合や親の理解など「余計なこと」を考えず、目標に集中できる条件が必要だ。少なくとも、努力できる機会を均等にしようということだろう。
村木さんは「新しく『こども家庭庁』ができるなら、そういう環境をめざしてほしいと心から思います」と書く。苦労人の行政経験者が「ですます」調でそう語れば、おのずと説得力が増すというものだ。
「一億総中流」と言われた昭和の時代と比べ、国内の経済格差は確実に広がった。貧困が引き起こす教育格差は、生涯賃金を左右し、貧しさは連鎖していく。「親ガチャ」はそんな現実に対する呪いと嘆きの言葉であり、うまくいかない自分への言い訳であり、あきらめの言葉でもある。
貧困の連鎖を断つには、挑む前からあきらめる子をなくさねばならない。心配なのは、そのための政策を練ったり決めたりする人の多くが、努力できる環境に恵まれていたであろうことだ。たぶん世襲議員あたりは、本人の責任ではないが親ガチャの大当たりで、「努力不要」の環境だった人も少なくなさそう。霞が関や永田町かいわいでは、強さと優しさを併せ持つ人はそれほど多くはない。
子育て支援や虐待防止の司令塔となるこども家庭庁は、関連法の成立で来春の発足が正式に決まった。事情が許すなら、初代長官に村木さんはどうだろう。
冨永 格