「銃規制」進まない米国 相次ぐ乱射事件、過去には日本人も犠牲に

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AFS留学生も殺された

   米国では日本人が犠牲になった事件も複数起きている。

   1992年には、交換留学制度 (AFS)でルイジアナ州の高校に通っていた服部剛丈さん(当時16歳)が訪問先の家を間違え、家主に射殺された。

   服部さんの両親や支援者は93年にはYOSHI基金を設立。「銃が生活の中にない日本を体験してほしい」と、米国から日本への年間留学生制度(YOSHI基金奨学生)をスタートさせ、毎年1~2人を招いている。米国内の銃規制団体に援助もしてきた。

   2007年からは、服部剛丈さんの母校、愛知県の旭丘高校で「安全で平和な社会をつくるには」をテーマに毎年討論会が開かれている。中日新聞によると、21年12月にも銃規制を考える集会「旭丘YOSHIの会」が開かれ、同校の生徒や服部さんの父政一さんら30人が参加した。中国やタイなどアジアから同県内の高校などに留学している人も出席、各国の銃規制や所持の方法、銃に関する事件を報告し、「事件を繰り返してはいけない」と訴えたという。

   米国では1994年にも、日本からの留学生2人が射殺される事件が起きている。

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