毒づきにも余裕
伊集院さんは周知のように、奥様の出身地である仙台市で暮らしており、東京で仕事がある時は常宿を拠点に動く。冒頭、神保町での自著探しもそんな日常の一幕だ。
彼が書店の味方であることは論を待たない。本作でも「八百屋が亡くなれば、鍋料理ができなくなるように、本屋がなくなれば、恋愛もどこか淋しいものになるし、人生で何が大切かもわからなくなるだろう」とまで書いている。
伊集院さんの著作を置かない書店はめったになかろうが、よりによってそれに当たった作家の落胆と憤慨は想像できる。ただし「スカシタ本ばかり置きやがって」といった毒づきには、あえて「いじける作家」を演じるような、余裕が感じられる。
本屋大賞についての記述に至っては半ば冗談めくが、因縁がないわけでもない。
2004年に始まる本屋大賞は、「いちばん!売りたい本」のキャッチコピー通り、新刊を扱う書店員たちの投票で決まる。書店員こそ、本と読者を最もよく知る立場にあるというのがその趣旨である。そして創設者の動機のひとつは、2003年1月発表の直木賞が「受賞作なし」だったことへの憤りともいわれている。
自らも直木賞を受賞(1992年)し、その選考委員歴も10年を超す伊集院さん。このイベントには思うところがあるのかもしれない。
それはさておき、絶句で終わる随想は初めて見た。
冨永 格